諏訪・信州 城攻め紀行 2-4 上田原古戦場 からの続きです。
上田原の戦いの碑から、南下すると10分位で「生島足島神社」に到着します。
神社の北東側に無料の参拝用駐車場があり、駐車場で誘導する警備員さんも出ていました。
そうなんです。結構、参拝客が来ており、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて初宮詣するご家族もおられました。
生島足島神社
境内はほぼ四角で、中央には神池と呼ばれる池があり、その池の中に神島と呼ばれる島があって、その島に「本殿」が造営されています。
その島の台地そのものが御神体(御霊代)として祀られているそうで、本殿には床がないそうです。
なるほど、古くは自然信仰からだったのでしょう。創建年代も不明な信濃屈指の古社だそうです。
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文献に初めて見えるのは806年に平城天皇の神封戸の寄進があったと言う事なので、古来よりはるばる京の天皇家からも信仰が厚かった事が伺えます。
なんでも、天皇が都を定められる時には、必ず生島・足島の二神をその地に鎮祭される例だったそうです。
本殿が北面しているのも珍しいと存じます。
川中島での決戦を前に武田信玄が必勝を祈った「願文」(直筆)や家臣団に忠誠を誓わせた「起請文」、また、真田昌幸、真田信幸父子の「朱印状」など数多くの古文書が残っており、境内の歌舞伎舞台(県宝)で無料展示公開されていました。
これだけの大量の古文書が残されているのは日本全国と言えどもこの生島足島神社だけでして、長年、火災にも合わなかったと言う事ですし、複製ですが、それらを無料で見られる事と言い、とにかく驚きです。
次は、徳川家康勢を2回も撃退した舞台でもあり、真田氏の築城技術を垣間見ることができる「上田城」です。
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