音無神社とは
音無神社(おとなしじんじゃ)は静岡県伊東市音無町にある神社で、平安時代末期に、源頼朝と八重が密会した場所として知られます。
伊豆に流罪となった源頼朝は、当初、伊豆最大勢力と言える伊東祐親の監視のもと、伊東「北の小御所」にて暮らしていたと考えられます。
当時は、流刑と言っても、屋敷を与えられて、その地に住むと言う感じでして、遠出も自由だったようです。
そして、伊東祐親の娘・八重姫と源頼朝は、恋仲となり「おとなしの森」(音無の森)で、密会するようになったとされます。
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源頼朝は、松川(伊豆大川)の西側にある「ひぐらしの森」(日暮八幡神社)で、夕暮れになるのを待ち、暗くなると、松川の東側にある「おとなしの森」に入って、八重姫と会っていた(デートしていた)とされます。
上記写真にある松川の左側となる場所に、現在、音無神社があると言う事になります。
松川の遊歩道(クルマも通行できる)沿いに、音無神社があり、その背後の高台の先端に、伊東氏館がありました。
現在の本殿には、安産と縁結びの神様「豊玉姫命」(とよたまひめのみこと)が、祀られています。
地元では、出産前に、底の抜けた柄杓を、神社に納めて安産を祈願したそうです。
また、境内では、音無神社に伝わる伝承絵巻物の説明・イラストが、展示もされています。
1177年頃、京から戻った伊東祐親は、八重が源頼朝の子・千鶴丸(千鶴御前)をもうけていたのを知り、怒ります。
伊東氏は、平氏に仕えている立場であり、流人の源頼朝の子をなしたとあっては、咎め(とがめ)を受けても、おかしくないからです。
そのため、伊東祐親は、5人の郎党に命じて「千鶴丸を松川の奥の白滝の底に柴漬けにして沈めよ」と命じ、伊東・稚児ヶ淵にて殺害したとされます。
更には、源頼朝(29歳)を殺害しようとしたため、八重姫の兄・伊東祐清が知らせ、源頼朝は、一杯水を経由して、伊豆山神社(走湯権現)へ逃れたと言います。
八重姫も、江間小四郎(江間四郎)に嫁がせたとされますが、八重姫のその後に関しては、諸説あり、女塚などいくつかの伝承が残ります。
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音無神社の近くに、伊東・最誓寺がありますが、千鶴丸の菩提を弔うために創建されたと伝わります。
音無(おとなし)さんと聞きますと、どうしても、めぞん一刻のイメージなのですが、八重姫の悲しい出来事にも、ふれて頂ければ幸いです。
交通アクセス
2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも注目の音無神社への行き方ですが、JR伊東線の伊東駅から、約1.1km、徒歩15分の距離です。
駐車場は、できれば、近くのコインパーキングを利用して、徒歩で向かうことを、お勧め致します。
境内の北側を、貫通する形で道があり、3分など短時間の駐車であれば、止められそうですが、周辺の道路は狭いですし、地元の皆様にご迷惑かも知れません。
素直に有料駐車場を利用したいところです。
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伊東温泉からも、徒歩圏内ですので、宿泊時の散策にも良いです。
訪問される場合には、日暮八幡神社、最誓寺もセットでどうぞ。
八重姫は、北条時政の屋敷がある、伊豆の国市にある真珠院にて供養されています。
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