龍門の滝
龍門の滝(りゅうもんのたき)は栃木県那須烏山市滝の那珂川の支流・江川にかかる、高さ約20m、幅約65mの大滝。
滝壺の中に男釜と女釜の2つの歐穴があり、大蛇が住んでいたという伝説があり、名前の由来にもなっている。
龍門の滝周辺は遊歩道が整備されている。
ただし、川には多少の階段を降りて行く必要がある。
足腰に自信がない場合には、降りる前のところの高所から望める展望台もある。
見学所要時間は通常20分くらい。
龍門の滝の様子は動画でも撮影してみたので、下記もご覧頂けると幸だ。
龍門の滝の滝つぼ付近は、川の中に入って水遊びも可能。
蛇姫の墓
龍門の滝近くにある太平寺に「蛇姫の墓」があるので行ってみた。
川口松太郎の小説「蛇姫様」に関係あるとの事。
太平寺は、那須烏山市にある天台宗の寺院で、山号は瀧尾山、正式には瀧尾山太平寺と称する。
創建は延暦22年(803年)に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷討伐した際に、戦勝祈願し千手観音を安置し堂宇を建立したのが始まりと伝わる。
この蛇姫のモデル人物としては、お六姫と、於志賀姫(おしか)の2人がいるようだ。
まんが日本昔ばなし「蛇と白蛇」の舞台としても有名。
お六姫
お六姫(ろくひめ)は、江戸時代初期の1630年に生まれた。
父は下野・烏山城主・堀親良で、1627年に下野・烏山藩2万5000石となっていた。
兄に堀親昌がいる。
17歳になったお六姫は家老で堀一族の堀左近(堀重親の嫡男)に嫁ぎ、堀権之助を生んでいる。
しかし、えん罪により耐え難い暴虐を受け、1650年1月9日、20歳頃に自害した。
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お六姫の自害により、まだ幼い堀権之助は、お六姫の兄・堀親昌の正室に引き取られたと言う。
なお堀親昌は、夫である堀左近を打ち首とし、堀新左衛門重親ら義父母を追放・所払いとしている。
お六姫の法名は、永昌院殿花屋妙春大禅定尼。
位牌は天性寺に安置された。
ちょうど、お六姫伝説を紹介した動画もあったので、公式な方法で共有表示しておく。
なお、お六姫の墓は、どうやら烏山・天性寺にあるらしいので、龍門の滝近くにある太平寺にある墓は、下記にてご紹介する於志賀姫と言う事になる。
於志賀姫
於志賀姫は烏山藩主・大久保氏の2代目になる大久保忠胤の4女。
大久保忠胤(おおくぼ ただたね) は江戸時代中期の烏山2万石の藩主。
於志賀姫の祖父にあたる大久保常春は、1728年、江戸幕府の老中となっており、この時、相模国・愛甲郡厚木村で1万石を加増され、厚木陣屋を置いている。
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それから、何年経過したのだろうか?、なんでも、烏山藩の家老が「焼き物」を不正に販売するわうになり金儲けをしていたと言う。
父で藩主の大久保忠胤も気づいたとされるが、病床に伏していたため、於志賀姫は嫁ぎ先の家から烏山城に戻った、
そのため、家老は毒入りの食事を於志賀姫に出して暗殺しようと試みた。
しかし、姫の侍女・おすがによって於志賀姫は何度も助けられた。
これを邪魔に思った家老は、おすがの命を奪った。
その後、於志賀姫が危ないときにはいつも「黒い蛇」が現れて助けてくれたと伝わる。
それからというもの、於志賀姫は「蛇姫様」と呼ばれるようになったとの事。
川口松太郎の小説「蛇姫様」では、烏山藩初代藩主・大久保常春の娘である「琴姫」がモデルとなっているが、話の内容は於志賀姫に近い。
大久保常春は観音堂(太平寺)の大改修が行って、大久保家の菩提所とした。
太平寺の御朱印は、宇都宮市の宝蔵寺にて頂くことができるようだ。
交通アクセス
龍門の滝への交通アクセス・行き方だが、JR烏山線の滝駅にて下車して、龍門の滝まで約600m、徒歩約7分。
ただし、烏山線は日中の本数が極端に少ないので注意。
クルマの場合、滝の近くに無料駐車場やトイレがある。
当方の・カーナビとしても使える便利なオリジナル関東地図にて、駐車場がある場所をポイントしているので参考にして頂きたい。
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