修禅寺とは
修禅寺(しゅぜんじ)は、静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院です。
ただし、修善寺は「地名」にもなっていますので、単に「しゅぜんじ」と言われますと、毎回、地名の事なのか?、寺院の修禅寺の事なのか?、悩むのですが、この記事では、お寺の修禅寺に関して、解説させて頂きます。
このように、お寺の「しゅぜんじ」の場合、漢字では「修禅寺」と書きます。
地名のしゅぜんじの場合「修善寺」と書きますので、この漢字の違いで、区別できると、分かりやすいかと存じます。
読み方は、両方とも同じで「しゅぜんじ」です。
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修禅寺の正式名称は、福地山・修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)と言いますが、その略称が、修禅寺と言う事になります。
創建は古く、平安時代の初期である807年(大同2年)に、空海が寺を開いたと言われます。
ただし、空海(弘法大師)は、806年に唐から博多に帰国して、809年まで、京に入ることも許されていません。
そのため、伊豆の修禅寺を創建したのかどうかは、確認できないといったところです。
ただし、空海が開いた宗教・真言宗の寺であったことは間違いなく、約470年間、真言宗を守ったとあります。
修禅寺の目の前を流れる桂川では、温泉がわき出ており、独鈷の湯(とっこのゆ)と言う伊豆最古の温泉地・修善寺温泉としても知られます。
そのため、独鈷の湯での湯治療養の需要もあり、修禅寺も栄えたと考えられます。
源頼朝が鎌倉幕府を開いた頃には、略称の修禅寺で、記載されていることが多く、寺領に関しても修禅寺と言う漢字で明記されています。
なお、源頼朝の弟である源範頼と、源頼朝と北条政子の子である鎌倉幕府2代将軍・源頼家が、修善寺に幽閉されています。
その幽閉先が、お寺の修禅寺であると考えられます。
源頼家は、1204年に、修善寺温泉「筥湯」(はこゆ)の入浴中に、刺客に襲撃されて亡くなっています。
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鎌倉時代中期に、南宋から渡来した禅僧・蘭溪道隆(らんけい-どうりゅう)が、1253年、執権・北条時頼により、鎌倉・建長寺が創建された際に招かれます。
しかし、1274年、蒙古襲来(元寇)とにると、蘭溪道隆(大覚禅師)は、元からの密偵の嫌疑となり、伊豆国に移されました。
このとき、修禅寺の改宗を行い、臨済宗に改宗となっています。
南北朝時代となり、1349年、足利基氏(あしかが-もとうじ)が、初代・鎌倉公方として鎌倉府に入ります。
しかし、伊豆守護でもある、関東管領・畠山国清(はたけやま-くにきよ)は、対立するようになり、1361年、伊豆・修善寺城などにて籠城し、攻撃を受けました。
そのため、修禅寺は、焼失したとあります。
また、1409年(応永9年)にも、火災で伽藍が全焼したため、荒廃しました。
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しかし、戦国時代となり、伊勢宗瑞(北条早雲)が韮山城を拠点に、伊豆を統一すると、1489年、北条一族出身の僧・隆渓繁紹(りゅうけいはんしょう)を、遠州の石雲院から移住させて、修禅寺を曹洞宗の寺院として再興しました。
幕末の文久3年(1863年)に、再び、修禅寺の伽藍や宝物の多くを焼失しますが、1883年(明治16年)に、本堂が再建されています。
修禅寺の御本尊は大日如来です。
ちなみに、手水舎の水も、温泉が注がれています。
宙 SORA
修善寺温泉では、数々のテレビドラマや映画などの撮影も行われています。
人気ドラマ「逃げ恥」の第6話で、新垣結衣さん演じる「みくり」と、星野源さん演じる「平匡」が、宿泊した修善寺温泉のロケ地である旅館は「宙 SORA」さんになります。
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交通アクセス
修善寺駅から、伊豆箱根バス・東海バスの修善寺温泉行きに乗車して約8分「修善寺温泉」バス停下車して徒歩5分となります。
修禅寺じたいにも、裏手の方に、参拝者用駐車場がありますが、檀家さんなどではない、観光客のクルマは、有料パーキング月の庭(通常400円)や、離れた場所にある小山駐車場の利用となります。
・修善寺城の解説~関東管領・畠山国清による最後の抵抗
・独鈷の湯の解説「伊豆・修善寺温泉」伊豆最古の温泉
・修善寺温泉「筥湯」(はこゆ)の解説~ヒノキ内湯の復元外湯(共同浴場)
・源頼家の解説~5分でよくわかる鎌倉幕府第2代将軍「2代目鎌倉殿」
・観光に便利なオリジナル地図(関東周辺)
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