新潟県佐渡市にある順徳天皇火葬塚(真野御陵)です。
順徳上皇(じゅんとく-てんのう)は、父・後鳥羽上皇らと承久の乱(じょうきゅうのらん)を起こしますが、鎌倉幕府執権の北条勢に敗れて、佐渡島に配流となりました。
配流されると21年間、佐渡の黒木御所で過ごし、佐渡院と称されていましたが、1242年9月12日に佐渡で崩御しました。享年46。
京に帰れる望みはなく、存命は不要と言うと断食をし、最後には自ら頭部に「焼石」を乗せて、いわば自殺に近い形で亡くなったと伝わるそうです。
陵墓は京都市左京区大原勝林院町の大原陵となりますが、佐渡の真野地区に順徳天皇火葬塚があると言う事になります。
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亡くなった翌日に、ここ真野山で火葬されたあと、翌年になって遺骨が京都大原に運ばれ、既に亡くなって頂き後鳥羽上皇の墓所(大原陵)の傍らに埋葬されました。
火葬した跡に、松と桜を植えて、目印として残っていたのが、火葬塚で「円墳」と言う事になります。
と言う事で、火葬した跡と言うよりは、規模の大きい円墳(御陵)と言う感じですので、別名「真野御陵」と称される訳です。
なお、地形図集成でも「円丘」と記載されているのですが、実際には方墳のような形をしています。
火葬塚は御陵と同じで、宮内庁が管理しています
なお、近くにある真野宮は、順徳上皇を祀った神社となります。
交通アクセスですが、両津港から車で約25分、小木港より車で約50分となります。
真野観光センター付近に大きな無料駐車場があり、そこにクルマを止めて徒歩3分ほどの場所となります。
場所は当方の「東北・新潟オリジナル地図」にて分かるようにしてあります。
近くには観光スポットとして人面岩や、五重塔がある妙宣寺もありますので、セットでどうぞ。
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