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日露戦争のさなか明治38年に日本海海戦にて、ロシア・バルチック艦隊を撃退し、大勝利を収めた日本海軍連合艦隊の旗艦だった戦艦・三笠。
現在は「三笠保存会」が中心となり「記念艦みかさ」として横須賀市が博物館として展示している。
戦艦・三笠
戦艦・三笠は、当時の日本海軍に取って、6隻目の戦艦であったが、まだ日本は戦艦を造船する技術に乏しく、イギリスの造船会社に発注していた。
その為、三笠もイギリスのヴィッカース造船会社で建造されており、敷島型戦艦の四番艦にあたる。
建造費用は船体が88万ポンド、兵器が32万ポンド。
主砲として30.5センチ連装砲を2基、合計4門備えた戦艦で、日露戦争の際には最新鋭であったため、連合艦隊の旗艦として、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将や、第1艦隊参謀の秋山真之らが座乗した。
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日本海海戦での勝利
戦艦・三笠は日露戦争で、連合艦隊旗艦として、旅順口攻撃、旅順口閉塞作戦、黄海海戦に参加。
そして、日本海海戦でロシア海軍バルチック艦隊と交戦。
この時、日本海軍は、ありったけの軍艦を掻き集めた「連合艦隊」であったが、戦艦4隻、装甲巡洋艦8隻、巡洋艦15隻に留まるのに対して、ロシアのバルチック艦隊は戦艦8隻、海防戦艦3隻、装甲巡洋艦3隻、巡洋艦6隻と、戦力も日本が戦艦4に対してロシア側は戦艦8と、ロシアが有利であった。
連合艦隊は秋山参謀と東郷平八郎司令長官の一致した意見によって、丁字戦法を採用。
世に「トーゴー・ターン」と呼ばれる大回頭を行い、バルチック艦隊の進路をふさぎ、約3時間の戦艦どうしによる砲撃戦が行われた。
日本海海戦にて、ロシア・バルチック艦隊は撃沈16隻(戦艦6隻、他10隻)、自沈5隻、被拿捕6隻と大敗。
6隻は中立国へ逃亡し、目的地であったウラジオストクへ到達したのは巡洋艦1隻、駆逐艦2隻だけであった。
ロシア兵は戦死4830名、捕虜6106名となり、捕虜にはロジェストヴェンスキー提督、ネボガトフ提督も含まれていた。
対して連合艦隊の損失は水雷艇3隻沈没のみ、戦死117名、戦傷583名と軽微であり、大艦隊同士の艦隊決戦としては現在においてまで史上稀に見る一方的勝利となった。
拿捕したロシア戦艦は、修理を行い、のち日本艦隊の所属にもなっている。
現に、アメリカのタイムズ紙などは、日本海海戦(世界的には対馬海戦)で日本の大勝利を信用できず、確認のため、記事掲載を遅らせるなど、当初は日本の大勝利を世界が疑ったほどであった。
戦艦三笠では113名の死傷者が出ている。
ちなみに、太平洋戦争での連合艦隊司令長官になった山本五十六は、日本海海戦では少尉候補生として装甲巡洋艦「日進」にて戦闘に参加しており、左手の人差指と中指を欠損、左大腿部に重傷と言う傷を負っている。
駐車場情報
アクセス・行き方は、電車の場合は京急本線の横須賀中央駅から徒歩15分くらい。
自動車の場合には、下記の地図ポイント地点が三笠の駐車場付近だが、あまり止められなくて満車気味。
しかし、近所には100円パーキングが比較的豊富なので、一方通行に気を付けてちょっと回れば止められるだろう。
戦艦三笠の写真集
▼戦艦三笠 うしろから
▼記念艦みかさ
▼三笠内部の通信室
▼副砲も再現されている
▼47mm単装砲
▼15.2センチ単装砲と、ハンモック
▼三笠詳細図
▼司令長官専用浴室
▼司令長官室
▼想像よりも狭かった艦橋
▼艦橋から前方を見た風景
▼艦橋から見た猿島方面
▼角度を変えて前方から
▼公園にはせせらぎもある
▼前部主砲と艦橋
▼右舷副砲
▼前部甲板
▼参謀会議室
▼中央が東郷司令長官、一番右が秋山参謀
▼副砲の砲撃シーンを再現
▼後部甲板から後部艦橋を望む
▼公園より戦艦三笠を望む
▼前方から見た戦艦三笠
▼公園にある遊具施設
▼記念館みかさ公園の入口付近
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