神奈川県の大山寺(おおやまでら)は、神奈川県伊勢原市の大山中腹にある、真言宗大覚寺派の寺院になります。
大山寺本堂前の参道付近は、紅葉の名所としても知られています。
紅葉の時期は、11月上旬頃~12月上旬頃となり、その時期には、鉄造不動明王像の開帳も行われます。
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現在の大山には、大きく分けて「2つ」の寺院があります。
ひとつは、大山阿夫利神社で、もうひとつがこの記事でご紹介している「大山寺」です。
神奈川県の大山は、山頂に大山祇神を祀ったことが始まりで、かつては「石尊大権現」と呼ばれていたようです。
石尊権現(せきそんごんげん)とは、大山の山頂で、霊石が祀られていたものです。
このように、古代から山岳信仰で知られ、古くは古墳時代の須恵器・土師器なども、山頂から発掘されています。
その後、中腹に寺院が建てられると「阿夫利神社」と名付けられました。
奈良時代の752年には、雨降山・大山寺が建立され、不動明王(国の重要文化財)がご本尊となり、神仏習合となります。
石尊権現の本地仏が不動明王と言う事になります。
開山したのは、奈良の東大寺を開いた良弁僧正ですが、相模国出身だったようです。
<注釈> 良辨(ろうべん)は、相武国造の末柄である漆部氏(ぬべり-し)の漆部直足人(漆部伊波)の子で鎌倉生まれとされる。
大山寺第三世住職としては、弘法大師(空海)が入り、数々の霊所を開きました。
江戸城に入った徳川家康は、合計157石を寄進するなどして、大山寺を保護しました。
また、江戸幕府3代将軍・徳川家光は、伽藍を寄進するなどし、代参として春日局が、2回ほど、大山を参拝し、不動明王に祈願しています。
江戸中期には「大山詣で」人気となり、関東各地から大山参詣へ向かう「大山道」が整備されました。
しかし、明治時代に入ると廃仏毀釈・神仏分離により、大山も廃仏と神社化が図られます。
石尊大権現・大山寺は廃寺となり、古代の名称である「阿夫利神社」に改称されました。
その後、明治9年に、来迎院があった跡地に仮屋を建て「不動堂」が再建開始され、9年間の難工事のすえ、明治18年(1885年)に「明王院」という寺名で再興されます。
そして、大正4年(1915年)に明王院は観音寺と合併し「大山寺」の旧寺号が復活したと言う事になります。
そのため、大山寺には、檀家さんがほとんどなく、ご祈祷やお守りなどが、維持するための収入源と言えます。
ご本尊の大山不動像は、鎌倉時代の1264年に造られたもので、珍しい鉄造の仏像となっています。
重さは約480kgあるそうです。
なんでも、恐ろしい形相をした不動明王のため、明治の破却を免れていたとされます。
その不動明王がある本堂の内部では、左手のところから、靴を脱いで、もっと近い所や、本堂内部の裏手などの有料拝観も可能となっています。
<注釈> 毎月8の付く日が御開帳日で、他にも紅葉時期など開帳がある。
本堂の左奥には、下記のような「土器投げ」(かわらけなげ)ができる場所があります。
かわらは、本堂の入口左側にて、2枚300円で販売されていました。
かわらけを投げるだけで、厄除けになるとされています。
現在「大山詣り」は日本遺産に認定されています。
大山寺だけの見学所要時間としては、約20分といったところでしょうか?
大山寺への交通アクセス・行き方ですが、一般車両は入れず、駐車場はありません。
駐車場は、大山ケーブルカーの大山ケーブル駅から500mほど下にある有料駐車場利用となります。
そして、大山ケーブルカの中間駅「大山寺駅」から遊歩道を歩いて200m、徒歩3分で、大山寺に至ります。
大山ケーブルカーの切符は、途中下車しても、その先まで有効ですので、ご安心ください。
お勧めとしては、行きは、大山ケーブルカーにて、終点の「阿夫利神社駅」まで行って、大山登山や、大山阿夫利神社の参拝を済ませたあと、帰りに大山寺に寄ると効率が良いでしょう。
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土日祝などで、大山ケーブルカーが混雑している場合には、下記の方法(ルート)がお勧めです。
切符は片道(行き)だけ購入して、大山登山や、大山阿夫利神社の参拝を済ませたあと「徒歩」(女坂15分)にて、大山寺経由で下山する方法となります。
<注釈> 男坂では大山寺には立ち寄れません。
帰りにケーブルカー乗車待ちする時間も節約可能です。
大山寺から大山ケーブル駅までは徒歩20分となりますが、下りでしたら、ラクです。
大山寺から下の女坂には、登山道を照らす夜間照明のLED電球も整備されています。
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