佐渡金山(さどきんざん)は、新潟県佐渡市にある金山跡です。
3回目ですが久しぶりに再訪となった佐渡金山の歴史と見逃しては行けにい佐渡金山の見学ポイントを明記したいと存じます。
佐渡金山の歴史
相川金銀山(佐渡金山)が開発されたのは関ケ原の戦いのあと1601年とされます。
もともと、佐渡島では佐渡西三川の砂金山が最初に開発されたとされ、その年代は1460年頃とされます。
その後、戦国時代の1542年に、佐渡では鶴子銀山で銀の採掘がはじまり、石見銀山との交流も行われました。
1589年に、春日山城主・上杉景勝が佐渡の本間氏を平定して上杉領とし、豊臣秀吉より佐渡の金銀山の支配を任されています。
その後、上杉景勝は、1598年、豊臣秀吉の命により、会津へと加増移封となっていますが、実は、佐渡一国は引き続き上杉領でした。
しかし、1600年、関ケ原の戦いで徳川家康が勝利したため、石田三成に協力していた上杉家は米沢城30万石へと削られ、佐渡は天領(徳川幕府直轄領)となります。
こうして、敦賀の豪商である田中清六が佐渡代官(佐渡奉行)となり派遣され、鶴子(つるし)銀山の山師が金北山(きんぽくさん)にて、金鉱脈を発見し坑道を掘ったのが始まりとされます。
ただし、戦国時代から先行して採掘していたともされます。
スペインの船乗りゴンザレスが国王に提出した、1571年から1580年にかけての佐渡金山の報告書には、上杉景勝の叔母?が佐渡金山を開いたとあります。
叔母に関しては誰なのかは不明ですが、この叔母は上杉謙信だとする解釈もあります。
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1603年に、大久保長安が佐渡代官として赴任すると、本格的な金山経営が始まり、江戸初期の最盛期には、最盛期には金が1年間に400kg、銀が40トン以上採掘されたと言います。
この量は当時では世界最大級となります。
明治に入ると西洋の技術を用いて、機械化・近代化も図られました。
1869(明治2)年に、新政府は官営佐渡鉱山として、西洋人技術者を招き、機械化・近代化を進めて産出量を高めています。
その後1896(明治29)年からは、当時の三菱合資会社に払い下げられましたが、太平洋戦争中は銅の採掘が中心だったと言います。
やがて産出コスト(労働賃金など)が合わなくなり、採算が取れないため、しだいに採掘は縮小され、尚且つ資源枯渇により1989年、400年に渡った採掘は中止されています。
それまで産出した金は78t、銀は2330tでした。
旧佐渡鉱山採鉱施設 3基4棟1所として、大立竪坑櫓(おおだてたてこうやぐら)、大立竪坑捲揚機室(- まきあげきしつ)、道遊坑及び高任坑(どうゆうこうおよびたかとうこう)、高任粗砕場(たかとうそさいば)1棟、高任貯鉱舎及びベルトコンベアヤード、電車車庫(機械工場)、間ノ山上橋(まのやまかみばし)、間ノ山下橋が、それぞれ、国の重要文化財となっています。
金山遺跡のうち相川鉱山関係遺跡が「佐渡金山遺跡」として国の史跡に指定されているほか、世界遺産への登録も目指しています。
佐渡金山の観光
現在、佐渡金山は観光施設として一般公開されており、国史跡、国の重要文化財、国近代産業遺産、国重要文化的景観に指定されています。
金・銀を採掘していたトンネルの総延長は佐渡から東京までの距離と同じ400kmにも及ぶ坑道になっています。
東西3000m、南北600m、深さはなんと海面よりも低い800mに広がっており、アリの巣のように何層にもなっていました。
そのうち、約300mの坑道(トンネル)が、観光用に整備されており、実際入って体験することができます。
なお、観光できる佐渡金山の坑道は、宗太夫坑と道遊坑の「2つ」に分かれています。
宗太夫坑
宗太夫坑(そうだゆうこう)は、江戸金山絵巻コースと言う副タイトルがついているとおり、江戸初期の手掘り坑道跡が見学できるようになっており、佐渡金山絵巻に描かれている採掘作業が、動く人形などによって再現されています。
鉱山で働いていた鉱夫の給料は良かったようで、相川の街は推定人口3万人で、大変栄えたと伝わります。
江戸時代の後期には、無宿人と呼ばれた浮浪者1800人を江戸から連れてきたり、罪人を強制連行して労働させたりしました。
特に、無宿人らは、重労働となる水替人足に充てられたと言います。
宗太夫坑には江戸時代の過酷な採掘風景を再現した人形が約70体設置されています。
堀進めた結果、穴はだんだん深くなり、坑道は最深部で800mと、海抜下にまで伸びていたため、大量の湧き水が出ており、水を地上に汲み上げる必要性があったのです。
坑夫は、坑道内で寝泊まりをすることもあったようで、下記は有名な「馴染みの女」おじさんです。
早く外に出て酒を飲みてぇ、馴染みの女にも会いてぇなぁと、キセルをふかして、しゃべっていました。
内部の気温は10℃ですので、真夏でも寒いくらいです。
冷房に弱い方などは、長袖の上着があると良いかと存じます。
出口は下記のような感じです。
宗太夫坑の見学所要時間は約30分でした。
出口にある売店の2階は資料館になっていおり、鑑定書付き佐渡製小判なども展示されていました。
道遊坑
道遊坑(どうゆうこう)は明治官営鉱山コースと言うように、明治に入って近代化された坑道や鉱山設備が展示されています。
一方通行路と言うよりは、途中まで行って、戻って、別の坑道へ入るようなところもあります。
道遊の割戸の真下にもなっているのが、道遊坑です。
しかし、坑道内は、夏でもほんとひんやりしています。
このように最初は、坑道内部の見学ですが、やがてトンネルを抜けると、山の裏手に出ます。
道遊坑を出たところは、トロッコ列車の基地になっています。
引き続き見学が続きますが、脇には、高任坑の入口があります。
高任坑の入口は別の1周コースと、出口に向かう方向ですので、後回しにしました。
案内に従って山へと砂利道を約10分ほど登って行きますと、途中小さいな神社があり、その脇を抜けています。
ただ、真夏でしたので、結構、汗だくとなりました。
神社から少し入れば、江戸時代の露天掘りのあとである「道遊の割戸」をすぐ近くから見学可能となっています。
しかし、あまりにも近すぎて、カメラのフレームに道遊の割戸の全体像が収まりません。
そのため、動画でも撮影してみましたので、よければ、下記もご高覧賜りますと幸いです。
さて、トロッコの基地(駅)に戻りまして、高任坑の入口(出口方面)に入って行きますが、まだ、出口に向かわないで、坑道をまっすぐ進みますと、山の反対側に出ます。
坑道から海側へと一周できるようにもなっており、グルッと廻ると、離れたところに出て「道遊の割戸」を望むことも可能です。
奥のほうにもトロッコ車庫がありました。
また、このあたりは見晴らしがよい高台になっており、最近、ラピュタに似ていると言われる、搗鉱場跡(とうこうば-あと)も望めました。
さらにグルット回り込みますと、道遊の割戸を正面から望める撮影ポイントに出ます。
道遊の割戸の頂上部の裂け目の間隔は約30mで深さは74mあります。
と言う事で坑道内20分、外が20分と合計約40分の所要時間となります。
ポイントとしては、時間がない場合、あまり興味ない場合には、江戸時代の「宗太夫坑」だけを見学すると良いです。
坑道の中は外気温約10℃と、夏はひんやり、冬は暖かい状態となっています。
時間があればと言うより、できれば、明治の「道遊坑」も「両方」見学されることをお勧め致します。
特に、よく写真に出てくる佐渡金山のシンボルである「道遊の割戸」は、道遊坑のコースでないと見学できないようになっています。
両方見学する場合には、2坑道周遊コース(共通券)が割引でお得になっています。
なお、コースは入口から完全に分かれていますが、出口は一緒です。
そのため、最初は宗太夫坑を見て出口の売店に戻り、また入口へと行って、2回目は道遊坑を見て、また同じ売店に戻ってくると言う流れになります。
よって、お土産物を購入するのは、最後で良いです。
なお、売店の純金ソフト・純金コーヒーは、【PR】JAF会員証の提示で100円割引になりますのでお得です。
あと、坑道内は、地面も「湿っています」ので、滑りにくい靴のほうが無難です。
道遊の割戸
上記でもご紹介しましたが、巨大な金脈を掘り進むうちに、山がV字に割れたような姿になったのが、道遊の割戸(どうゆうのわりと)です。
無料で望めるスポットは、大立竪坑の駐車場からでして、道遊の割戸を反対側から望むような感じになります。
なお、下記の観光施設「佐渡金山」の道遊坑コースでは、道遊の割戸を正面やすぐ近くから見学できます。
ちなみに、大立竪坑は、1877年に完成したエレベーターによる垂直の運搬坑道で、最終深度は352mにも及びます。
平成元年の操業停止に至るまで佐渡金山での採掘の中心でしたが、観光はできません。
近くには、大切山坑が口を空いています。
大切山坑は、観光用として整備はされていませんが、中学生以上向けに、佐渡金山の窓口にて「ガイド付・山師ツアー」の受付をしており、長靴入力ヘルメットと懐中電灯にて内部に入ることができます。
4月~11月の期間限定、前日までの予約制となっていますが、2名以上での参加が必要で、見学所要時間は1時間20分となります。
このように、佐渡金山はあちこちに坑道の入口があったのです。
以上、簡単に佐渡金山に触れましたが、最後に交通アクセスや営業日・定休日などを記載したいと存じます。
佐渡金山の営業は、4月~10月が朝8時~17時30分閉鎖。
11月~3月は朝8時30分~17時閉鎖となります。
遅くとも終る30分前には入場したほうが良いです。
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交通アクセスですが両津港より車で60分、小木港より車で60分、赤泊港より車で60分となります。
両津から来るのであれば、大佐渡スカイライン(無料)から下ってきても良いです。
無料駐車場はとても広くて約500台完備です。
なお、佐渡汽船で両津に渡った場合には、両津港から路線バス・新潟交通佐渡バスの「本線」の一部ダイヤが、佐渡金山終点となっています。
その他、定期観光バスを利用しても良いでしょう。
世界遺産登録を目指している佐渡金山の観光所要時間はコースひとつであれば40分ほど、両方ですと90分ほどみれば大丈夫だと存じます。
佐渡金山の施設であった北沢浮遊選鉱場や、佐渡奉行所などもセットでどうぞ。
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