三重・和歌山観光

根来寺 荘厳な雰囲気な根来衆の本拠地

根来寺

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根来寺(ねごろじ)は和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山の寺院で国の史跡になっています。
空海(弘法大師)が高野山を開いていますが、空海以来の才と称され、真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖となる覚鑁(かくばん)が、1130年に高野山に大伝法院を建立します。
1134年、鳥羽上皇の勅宣により覚鑁は金剛峯寺の座主に就任して高野山の立て直しを図りましたが、反対派の僧侶らが覚鑁一門の寺院を焼き討ちしました。
そのため、高野山を降りて、鳥羽上皇から寄進を受けていた弘田荘の豊福寺(ぶふくじ)に移りました。


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1143年、覚鑁(興教大師)は入滅し、根来寺奥之院にある霊廟に埋葬されています。

根来寺奥之院

一方、高野山に残っていた大伝法院は発展して13もの堂塔が建てられていましたが、鎌倉時代の1242年に焼失します。
そのため、1288年頃、頼瑜(らいゆ)が大伝法院の僧侶の教学(学び)の場を根来に移したことで、根来寺が賑わうようになります。
根来寺は多くの学僧を抱えるようになりました。

根来寺

比較的、根来寺の史料が多く残されているのも、文字を書けるなど教育水準が高かったからだと存じます。

下記は離れたところにある根来寺・大門で、根来寺の入口と言う事になります。

根来寺・大門

根来寺は室町幕府からも保護を受け、紀伊国・和泉国に8つの荘園(寺領)にて72万石を得ました。
そのため、最盛期には坊舎450を数える一大宗教都市となり、経済的にも僧兵による武力的にも強力になって行きます。
この頃の僧侶は、農民と言うよりは、公家や武家の出が多いです。
武家の嫡男は家督を継ぐために家に残りますが、次男や3男は、余計な家督争いを起こさせないためにも、養子に出されたり、出家させて僧侶にする場合も多々ありました。
例えば、室町幕府の最後の将軍・足利義昭も僧侶になっていました、尼子再興軍の尼子勝久も僧侶から還俗しましたし、今川義元、上杉謙信も小さいころから寺に出されていた僧でした。
そのため、僧侶と言えども、武家の出である者も多く、幼いころから武芸にも励んでいたので、戦力にもなったのです。

根来衆

特に、根来衆とよばれた僧衆(僧兵)は、最大動員1万人規模だったとされ、1562年には久米田の戦いにて三好実休も討ち取っています。
また、種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺を根来寺の津田算長ら持ち込んだことから、鉄砲の製造も開始されて、鉄砲隊が組織されるようになりました。
戦国時代の1575年頃には、根来寺の坊院に僧侶と家族など5000人以上が住んでいたようで、大量の鉄砲を武器に強力な軍事力を有しました。
また、紀北から河内・和泉南部に至る寺院を城郭化し、兵(僧侶)を配置したようです。

根来寺・光明殿

これら根来衆(ねごろしゅう)は、お金で動く傭兵集団でもあり、雑賀衆鈴木孫一(雑賀孫市)らは、当初、石山本願寺の本願寺証如に味方しましたが、根来衆は概ね織田信長に協力し友好関係を築いていました。
しかし、本能寺の変のあと、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄が、小牧・長久手の戦いとなると、雑賀衆らと結んで手薄な岸和田城を攻撃するなどし、大坂城も狙う動きをしました。
そのため、豊臣秀吉は強く警戒するようになり、1585年、紀州征伐を開始します。
このとき、根来衆の根来大善(霜盛重)らは雑賀衆・太田党(紀氏)と手を結んで豊臣勢に抵抗しましたが、千石堀城、積善寺城など和泉の戦線が敗れると、根来寺も放棄され、豊臣勢が根来寺を焼きました。
焼け残った大伝法堂は、織田信長の廟所として使おうと解体されたと言います。

根来寺の大塔は1547年に完成し焼け残った建造物で、日本最大の多宝塔であることから国宝に指定されています。

根来寺・大塔

また、基礎の部分には、豊臣勢に攻められた際の火縄銃弾痕があるそうですが、いくら見てもよくわかりませんでした。
国宝の建物をすぐ近くで、ジロジロとずっと見ていると、不審者と思われますので、あきらめましたが、それにしても立派な建物です。
戦国時代の戦乱でも焼けずに残ったことを感謝しなくてはなりません。

根来寺

弘法大師・空海像を本尊として祀るため1391年頃に建てられた大師堂も戦火を免れた建物で、国の重要文化財に指定されています。

根来寺・大師堂

その後、根来大膳ら50名は伊勢に逃れると徳川家康の家臣に加わり、当時17歳の成瀬正成を組頭とした根来組同心となり、鉄砲隊・百人組となりました。
徳川家康が江戸城に入ったあとは、根来組は内藤新宿に置かれて、甲州街道の警護を担当しています。
ちなみに、成瀬正成なる武将は、優秀だったようで、豊臣秀吉が朝鮮攻めの際には、5万石で召し抱えると打診しています。
また、根来組は関ヶ原の戦いの際に、成瀬正成の組下として活躍しました。

この他にも、生き延びた根来衆は、奈良や京都にも逃れており、奈良・長谷寺や、智積院にて新義真言宗の教義を根付かせ、現在の新義真言宗・根来寺、真言宗豊山派・長谷寺、真言宗智山派・智積院の基礎になっています。

また、根来衆がつくり出した根来塗の技法は、黒江塗や輪島塗に伝わったとされています。

根来寺

なお、和歌山の根来寺のほうは、関ケ原のあと、徳川家康の保護を受けて法住が再興しました。
和歌山城に入った紀伊藩主・徳川頼宣の外護(げご)も受け、現在に至っています。
根来寺庭園は、国の名勝にもなっています。
紀州徳川家から拝領した名草御殿(なぐさごてん)が設けられている江戸時代の庭園です。

根来寺庭園

お正月には初詣も最適であり、春には約7000本も満開になる桜で有名なことから、さくら名所100選にも選ばれている根来寺ですが、紅葉の時期も素晴らしいようです。
紅葉の時期は、11月下旬から12月上旬が見頃となります。
境内は禁煙で、犬などペットの散歩、ペット連れはご遠慮下さいとなっているようです。

根来寺

なお、根来寺と言う名前の建物(寺院)はありません。

根来寺案内図

これら、寺院の集まりの総称が根来寺と言う事になります。

根来寺

根来寺への交通アクセス・行き方はいくつかありますが、一番便利なのは下記です。
岩出駅の駅前ライブラリーからバスで15分、民俗資料館前バス停下車して徒歩5分。


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クルマの場合には、無料駐車場がありますので、駐車場の場所を、当方のオリジナル地図にてわかるようにポイントしておきます。
根来寺の観光所要時間ですが、大門を除くと30分~50分といったところです。
初詣にも最適な場所です。

根来大善(根来盛重) 根来衆の頭領
積善寺城 根来衆などが立て籠もった和泉の城跡
金剛峯寺と高野山の歴史~大門・壇上伽藍・金堂【世界遺産】
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髙田

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