杉本寺とは
鎌倉・杉本寺(すぎもとでら)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある「鎌倉最古」の寺院となります。
名称 : 杉本寺
山号 : 大蔵山
宗派 : 天台宗
本尊 : 十一面観音
創建 : 天平6年(734年)
開山 : 行基
鎌倉幕府よりも約450年前、奈良時代の初期になる731年、鎌倉を訪れた行基(ぎょうき)が、観音様を祀る場所に良いと、自ら彫った十一面観音を安置したのが始まりとされます。
創建は734年で、光明皇后(聖武天皇妃、藤原不比等の娘)が観音菩薩のお告げを受けて、東国治安の安定を願い、右大臣・藤原房前と、行基に命じて、本堂を建立したと伝わります。
杉本寺(杉本観音)は、坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所の第1番札所で、日本遺産にも指定されています。
鎌倉最古の寺、杉本寺です! pic.twitter.com/nigICkPawD
— 吾妻鏡研究会(國學院大學) (@Azumakagami131) March 19, 2018
851年には、慈覚大師円仁 (じかくだいしえんにん)の十一面観音、986年には、恵心僧都源信 (えしんそうずげんしん) の十一面観音と、3体の十一面観音がご本尊となっています。
そのうち2体は、国の重要文化財ですが、月2回だけ開帳()のため、普段は、源頼朝が寄進した、運慶作の前立十一面観音像をお参りできると言う感じです。
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拝観は有料拝観(8時00分~16時15分)で、御朱印も受付しています。
参拝する場合、正面の石段は、古すぎて、すり減っていて、危険なため通行禁止。
左わきにできている通路から、本堂へと登って行きます。
背後の大蔵山には、相模・杉本城があり、三浦義明の嫡男・杉本義宗(すぎもと-よしむね)の屋敷が麓にあったようです。
1163年に、三浦一族の内紛で、安房へ出陣した際に、矢傷を負った杉本義宗は、相模・杉本城で亡くなったとあります。享年39。
嫡男・和田義盛は、三浦の和田城を拠点としたため、相模・杉本城には次男・杉本義茂が入ったようで、のち源頼朝の側近となりました。
吾妻鏡では、杉本寺のことを、大倉観音堂と呼んでいます。
鎌倉初期の1189年、堂宇が焼失しますが、このとき3体の観音像は、自ら本堂を出て、境内にある大杉の下へ避難したと伝わります。
実際には、浄台が、炎の中から本尊を持ち出したようです。
1191年、源頼朝の寄進を受けて、杉本寺は再興されました。
鎌倉幕府が滅び、南北朝時代に入ると、1337年(延元2年)、杉本城の戦いもありました。
南朝の北畠顕家が鎌倉に攻め入り、鎌倉にいる足利義詮を守っていた執事(関東管領)・斯波家長ら300人以上が、鎌倉・杉本城にて討死しました。
その斯波家長の五輪塔と伝わる石仏群が、杉本寺の境内にあります。
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現在の本堂(観音堂)は、江戸時代、1678年の建立との事です。
交通アクセス
JR鎌倉駅・東口5番乗り場から、京急バス[鎌23]太刀洗行き、[鎌24]金沢八景行き、[鎌36]ハイランド行きのいずれかに乗車して、杉本観音バス停下車の徒歩2分です。
鎌倉駅から歩くと約30分になります。
駐車場はありませんので、付近のコインパーキング利用となりますが、どこも小規模で、そんなに止められるところはありません。
今回は、東洋カーマックス・鎌倉二階堂駐車場が空いていたので、利用させて頂きました。
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