高幡不動尊(たかはた-ふどうそん)は、東京都日野市高幡にある真言宗・智山派、別格本山の寺院で、正式名は金剛寺(高幡山明王院金剛寺)と言います。
創建は、飛鳥時代の大宝年間(701年~704年)より前ともされ、奈良時代に行基菩薩が開基したとも伝わります。
いずれにせよ、関東では、歴史ある寺院で、平安時代初期には、円仁(慈覚大師)が清和天皇の勅願によって、東関鎮護の霊場を高幡山に定めたとも伝わります。
この円仁(えんにん)は、下野の豪族・壬生氏(みぶ-し)が出自で、808年、15歳のときに比叡山・延暦寺に上りました。
最澄に忠実に仕えると、816年、最澄の東国巡遊に同行して故郷の下野を訪れています。
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その後、遣唐使に同行する唐への留学生に選ばれて、836年、837年に渡航を試みましたが遭難して失敗しています。
それでも、諦めず、836年、最後の遣唐使船にて、船が全壊するもなんとか唐に上陸を果たしました。
1000km以上歩いて長安も訪れるなど約9年間の滞在に及び、苦労の末、新羅商人・金珍の貿易船に便乗して、ようやく日本への帰国となっています。
その後、慈覚大師円仁は、東京の目黒不動(瀧泉寺)、山形の立石寺、松島の瑞巌寺、平泉ま中尊寺、浅草の浅草寺などを開いていますが、そのひとつが、高幡不動と言う事になります。
854年、円仁は61歳で第3代延暦寺座主となりました。
下記は川崎街道からも見える、入口となる「仁王門」(国の重要文化財)で、室町時代の建物となります。
不動堂は清和天皇に勅願によって、慈覚大師(円仁)が東関鎮護の霊場として高幡山の中に建立しました。
しかし、室町時代の建武2年(1335年)8月4日、夜間に暴風雨(台風)があり倒壊したため、現在の建物は儀海上人が麓に立てたお堂で、東京都内では最古の文化財建造物となります。
不動堂も国の重要文化財です。
撮影撮影が禁止のため写真はありませんが、高さ2.8mの木造不動明王は平安時代後期の作で、関東では一番古い不動明王となります。
総重量は1100kgもあるそうです。
上杉憲顕の墳は、上杉憲秋の墓と言う事になります。
1455年、分倍河原の戦いにて敗れ、ここで自刃しました。
江戸時代の安永8年(1779年)火災が発生し、関東地方屈指の大寺院であった金剛寺や大日堂をはじめ大師堂、山門、客殿、僧坊などの大半を焼失しました。
近くには、新選組の副長として知られる土方歳三の生家もあったことから、土方家の菩提寺でもあり、境内には土方歳三の銅像もあります。
成田山新勝寺(成田不動尊)、雨降山大山寺(大山不動尊)と共に、関東三大不動(かんとうさんだいふどう)とされています。
あじさいの名所としても有名で、6月上旬には山に「山アジサイ」が咲き、6月下旬までは普通のあじさいも見ごろとなります。
毎月第2日曜日はリサイクル市、第3日曜日はござれ市(がらくた市)が年間通じて行われます。
お正月にはたくさんの初詣の参拝客も訪れる人気の観光スポットです。
有料拝観は2箇所あり、史料や仏像などの展示がある奥殿が300円、鳴き竜や土方歳三の位牌などがある大日堂が200円です。
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高幡不動尊への交通アクセス・行き方ですが、京王線の高幡不動駅から徒歩2分となります。
多摩都市モノレールの場合、高幡不動駅から徒歩5分です。
台数が多くはありませんが、高幡不動尊には無料の参拝用駐車場もあります。
川崎街道を八王子方面に進んで、左折のみで入場可能です。
当方のオリジナル地図にて、駐車場入口をポイントしておきます。
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