増上寺(ぞうじょうじ)は浄土宗の七大本山の一つで、東京タワーからも近い、東京の芝(しば)にあります。
外国人観光客もたくさん訪れている、境内は散策無料となる東京観光のスポットです。
室町時代の明徳4年(1393年)に、酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開基されましたが、そのころは、江戸貝塚(千代田区平河町)にありました。
この酉誉聖聡の弟子に、三河松平氏の第3代当主・松平信光がいます。
また、第4代・松平親忠が1477年に開基した、豊川の大恩寺の僧侶・了暁(りょうぎょう)慶善も、酉誉聖聰の弟子だったことから、松平氏(徳川氏)とのつながりが深かったようです。
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その後、戦国時代となって、1590年、小田原攻めのあと、江戸城に入った徳川家康が、たまたま増上寺の前を通ると、当時の住職・源誉存応上人と話をしたと言うのが、徳川家の菩提寺になるキッカケだったとされています。
増上寺は、貝塚から日比谷へ移りますが、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、裏鬼門でもある芝へ移転しました。
1616年、徳川家康は、増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で亡くなっています。
領地(寺領)1万石である増上寺の境内には檀林と言う学問所・養成所が設置され、関東十八檀林の筆頭となります。
江戸時代の中頃には、広大な寺有地に120以上の堂宇、100軒を越える学寮が並び、3000人以上の学僧が修行していました。
なお、1680年6月26日に行われた将軍・徳川家綱の法要の際に、奉行のひとりで志摩・鳥羽藩主の内藤忠勝が、同じ奉行の丹後・宮津藩主の永井尚長を斬りつけた刃傷事件が発生しています。(芝増上寺の刃傷事件)
1701年3月には、江戸に下向した天皇の勅使が、増上寺を参詣する際に「畳替え」をしなくてはいけないところを、高家・吉良義央が勅使饗応役の浅野内匠頭(浅野長矩)に畳替えの必要性を教えないと言う事件が起こります。
皆様、ご存知の「赤穂浪士」の発端です。
3月14日、浅野内匠頭(浅野長矩)は江戸城・松の廊下にて、吉良上野介を斬ると言う殿中刃傷となり「忠臣蔵」で知られるようになりました。
昭和に入って太平洋戦争では、東京大空襲にて徳川家霊廟、五重塔などが焼失。
現在の新大殿は約35億円かけて、1975年に完成したものです。
地下鉄・大門駅の「大門」(だいもん)と言う名称は、増上寺の旧総門のことを指します。
現在の増上寺の顔とも言うべき、三解脱門(さんげだつもん)は1622年に建立された二重門で、戦災を免れた建物となり国の重要文化財です。
この三解脱門をくぐると、三毒(3つの煩悩、即ち貪・瞋・癡)から解脱できると言われています。
増上寺の大殿(本堂)から右手にある安国殿の裏へと進んでいくと、現在の徳川家霊廟があります。
徳川家霊廟
現在、増上寺には、2代・徳川秀忠、6代・徳川家宣、7代・徳川家継、9代・徳川家重、12代・徳川家慶、14代・徳川家茂と、6名の将軍墓所が徳川家霊廟にあります。
女性では将軍の正室として2代・徳川秀忠夫人の崇源院(お江)、6代・徳川家宣夫人の天英院、11代・徳川家斉夫人の広大院、13代・徳川家定の最初の正室・天親院、14代・徳川家茂夫人の静寛院の5人の墓もあります。
崇源院(お江)は、浅井長政とお市の方との娘で、大阪城で命を落とした淀殿(茶々)の妹・お江の方です。
また、14代・徳川家茂夫人の静寛院は、仁孝天皇の第八皇女・和宮です。
将軍側室としては3代・徳川家光の桂昌院(お玉)、6代・徳川家宣の月光院など5名のほか、将軍の子女を含む計38人が眠っています。
かつては、約100棟もの霊廟や門などがあり、その壮大さは日光東照宮に引けを取らないものだったと言います。
現在の狭い徳川家霊廟に当然、全部あった訳ではなく、ザ・プリンスパークタワー東京や東京プリンスホテルの敷地も墓所でした。
しかし、戦災でその大部分が焼失し、現在の徳川家霊廟にある「鋳抜門」は、もとは文昭院殿霊廟(6代・徳川家宣公)の宝塔前にあった「中門」ですが旧国宝となります。
徳川将軍家墓所(徳川家霊廟)の内部は500円での有料拝観となります。
拝観受付時間は朝10:00~16:00(最終入場15:45)で、受付は徳川霊廟前にチケット札所があります。
ただし、毎週火曜日はお休みです。(祝日を除く)
2代将軍・徳川秀忠夫妻(台徳院・崇源院)
台徳院宝塔は戦災で焼失しており、崇源院宝塔(石塔)に合祀されている形になる。
6代将軍・徳川家宣夫妻(文昭院・天英院)※青銅製
9代将軍・徳川家重の墓(惇徳院)
12代将軍・徳川家慶の墓(慎徳院)
14代将軍・徳川家茂の墓(昭徳院)
徳川家茂の夫人「和宮の墓」(静寛院)(単独)
下記は、芝公園・ザ・プリンスパークタワー東京の敷地にある、徳川秀忠・台徳院霊廟・惣門(国の重要文化財)。
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