大正時代の詩人・北原白秋も、気に入って住んでしまったと言うほど、相模湾の眺めも素晴らしい景勝地が「城ヶ島」(じょうがしま)です。
そして、北原白秋は1915年に歌集「雲母集」(きららしゅう)集を発表しています。
その昔は、尉が島、尉ヶ嶋とも記載されていますが、鎌倉時代以降は景勝地として認知され、その後「城ヶ島」と呼ばれるようになりました。
一説によると鎌倉幕府を開いた源頼朝が改名させたともされます。
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戦国時代には、小田原城主の北条氏康や北条氏政も、三崎城に静養に訪れていると言いますので、この城ケ島も当然上陸して房総半島や大島を眺めていた事でしょう。
私がもし地図もない古代人でしたら、この城ケ島から望む遥かなる海の向こうには、何があるのだろう?と非常に気になってしまうと感じました。
今回は時間の都合で乗船しませんでしたが、水中観光船「にじいろさかな号」(所要40分)も毎日定期的に運航されています。
みうら漁業協同組合による本格的な海の釣り堀「みうら海王」、復活した城ヶ島渡船「白秋」は駐車場もあるので、クルマで行っても乗船が楽しめます。
その他にGPS魚探付きのレンタル・プレジャーボート、電動自転車のレンタサイクルなどもあり、原付スクーターのレンタルはヘルメットの貸出付です。
なお、城ヶ島の中央には「断層」が走っており、相模湾で大地震が発生する度に、隆起を繰り返してきています。
明治に入ると東京から三崎への定期船が運行され、観光客は大変増えたと言います。
しかし、関東大震災の時には、地盤が約140cm隆起した事によって海水浴場の砂中にあった岩礁が露出し、海水浴ができなくなり現在に至ります。
太平洋戦争の際には、薩摩型戦艦「安芸」の25.4cm副砲(最大射程24km)を転用した砲塔砲台「城ヶ島砲台」が設置され要塞の島と言う時代もありました。
下記の写真は、城ヶ島沖を浮上航行する潜水艦も写っています。
現在では、横浜横須賀道路も開通しており、増々観光にも便利な三浦半島のNO1観光スポットとして再び注目を浴び始めています。
城ヶ島にはいくつか有料駐車場がありますが、下記の駐車場は城ヶ島公園の駐車場がある場所です。
城ヶ島大橋は昼間だけ有料で普通車100円(行きのみ徴収)となります。ETCは使えません。
三崎港はマグロ漁業でも有名な事から、三崎や城ヶ島の飲食店では海産物を堪能することもできます。
また、京急の往復と城ヶ島へのバスや食事がセットになったフリーパスも発売されています。
城ヶ島の中にある「城ヶ島京急ホテル」では、日帰り入浴も可能ですので、是非ご訪問なさってみてください。
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