佐渡の妙宣寺(みょうせんじ)は、新潟県佐渡市にある日蓮宗の寺院です。
1221年(承久3年)の開創と伝わります。
佐渡に配流となった日蓮の弟子で、熱心な法華経信者となった遠藤為盛(阿仏坊日得上人・あぶつぼうにっとく)が開きました。
遠藤為盛は、順徳上皇に仕えた北面の武士(朝廷の警護担当)であったとする説があります。
そのため、1221年に承久の乱により佐渡に流された順徳天皇に従ったようで、1242年に上皇が崩御すると入道(出家)して真野御陵の近くにて、妻の千日尼と共に、最初は自宅を寺として開いたとされています。
そして、1271年にに日蓮が佐渡に流されると訪ねて、妻と共に弟子になったようです。
日蓮が許されて佐渡を去ったあとも、遠藤為盛は、身延山を訪問するなどし、90歳になっても身延山に3回目の登山をしたので、日蓮上人から「日得」の名を与えられたとされます。
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その寺「阿仏房」は最初は金井新保にありましたが、戦国時代の1589年に現在の場所に移転しました。
なお、現在の妙宣寺がある場所は、もともと、佐渡島で最大の城郭と言って良い「雑太城」があった場所でした。
「さわだじょう」と読みます。
大変綺麗に整備されている庭園もありますが、お城だったときからあったのでしょうか?
雑太城主・本間憲泰のとき、豊臣秀吉の命を受けた上杉景勝が、佐渡に侵攻し、わずか4日間で佐渡を平定しています。
このとき、直江兼続によって城跡に、妙宣寺を移転させたものと推測できます。
トップ写真の妙宣寺・仁王門は、江戸時代の延宝5年(1677年)建築となります。
妙宣寺には佐渡唯一と言うより、新潟県で唯一となる五重塔があり、国の重要文化財に指定されています。
江戸時代に相川に住む宮大工・茂三右ェ門の親子が2代に渡り30年掛けて建てたものです。
天辺に江戸風の相輪を備え、全高約24メートル、初層の各辺3.6メートルの規模になっています。
日光東照宮の五重塔を模したとされますが、各層の高欄や浅唐戸がなく、資金難のため未完成で終わってるものです。
また、後醍醐天皇の側近である日野資朝の墓所があります。
やはり佐渡に罪人として流されました。
交通アクセスですが、両津港から車で30分、小木港より車で40分、赤泊港より車で45分となります。
近代的なトイレと道路わきに無料の駐車場が完備されています。
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昨今の御朱印ブームで問題になっているのが、いわゆるスタンプラリーのように考えておられる方がいることです。
そもそも「ご朱印」の起源は、自分で一生懸命写経したものを寺社へ納める「納経」を行った際に、受付の印として頂くものです。
しかし、江戸時代後期には既に写経を納めるということが形骸化しており、単純に参拝した証として御朱印の風習だけが残りました。
東京の浅草寺さんでも、少なくとも、般若心経の一巻、または観音経の偈文(げもん)などを書写するか、ご宝前で読誦したあとに「ご朱印」を受けて頂きたいとコメントしています。
私も、単にその寺院を訪問した証にと御朱印を頂くのは、あまり望ましいことでは無いと存じております。
そのため、御朱印はやっていませんし、日本100名城のスタンプも行っていない次第です。
このような史跡を訪問すると言う意義を今一度よくお考えいただければと願っております。
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