網走監獄
博物館網走監獄(はくぶつかん-あばしりかんごく)は、北海道網走市にある網走刑務所の旧建造物を保存・公開している野外の博物館です。
古くは明治24年(1891年)に建築された建物から、明治・大正時代と今から100年以上前に作られた木造建築物を中心に、昭和の建物まで22棟あり、そのうち4棟が国の重要文化財、3棟が国の有形登録文化財に指定されています。
これらの建物は、博物館「網走監獄」がある場所にもともとあったものではなく、少し離れた「網走刑務所」にありました。
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その網走刑務所(あばしり-けいむしょ)が、昭和48年(1973年)に改築されることが発表されると、網走新聞社主の佐藤久さんが保存運動を起こし、約9億円の費用をかけて、現在の地に、建物を移築することになったのです。
そして、昭和58年(1983年)に開館しました。
そもそも、網走刑務所は、明治政府がと富国強兵を目指して、ロシアにも対抗するべく蝦夷地(北海道)の開拓のため、刑期が12年以上と罪が重い受刑者を労働力として使うべく設置された宿泊所です。
明治23年に設置されると、最初は「網走囚徒宿泊所」と呼ばれ、釧路集治監から網走に受刑者1392名を移動させました。
そのうちの3割以上の囚人が無期懲役だったと言います。
そして、受刑者は北海道の中央道路(現在の国道333号)の建設などに従事しました。
昼夜兼行で強行され北見道路(国道333号)は、僅か1年で、網走から北見峠まで約160kmが開通したと言います。
しかし、過酷な労働でありケガする者、遠くで働いている際に食料運搬がうまく行かなく栄養失調になる者も多く、死者は200名を越えました。
その後も、網走港、現在の女満別空港辺りの広大な農地の開拓などにも受刑者が駆り出されました。
このように北海道の今があるのも、囚人の力によるところも大きいのではと存じます。
逃亡を防ぐため、囚人は2名が鉄の鎖で繋がれていたと言いますので、作業も過酷だったようです。
うまく逃げたとしても、今の北海道と違って周りは原生林ですので、生き延びられる可能性は低い状態だったようです。
和人(アイヌ人以外)が、網走にて初めて冬越したのは、明治12年頃だと言われているくらい、網走の冬は外気温が零下20度まで下がると言う厳しいところでした。
しかし、囚人を監視する職員も、家族を連れて引っ越してきたため、網走の街は一気に栄えることになります。
その後、囚人は炭坑や火山の硫黄採取などにも動員されますが、過酷な労働を課すことが国会で問題となり、明治27年には廃止されています。
網走刑務所は明治42年に火災に見舞われ、ほぼ全焼しています。
そのため、古い建物が移築されていると言うより、明治の建物は「再現」しているものとなります。
旧網走刑務所建築物をいくつかご紹介します。
国の重要文化財である「庁舎」は、刑務所の管理棟と言ったところでしょうか?
明治45年に完成した新しい網走刑務所は西洋風の近代的な建物で、庁舎や舎房には網走で初めて電気の明かりが灯され「最果ての不夜城」と呼ばれていたそうです。
内部はちょっとして展示が行われています。
下記は、教誨堂で国の重要文化財に指定されています。
内部はこんな感じでした。
天井のシャンデリアが特徴的です。
下記は、二見ヶ岡刑務所(国の重要文化財)です。
網走刑務所の農園作業時の施設として、明治29年に網走の西方丘陵地に「屈斜路外役所」として設置されました。
例によって食堂も再現されています。
六畳の広さの雑居房が各20房あり、木製竪格子付きの窓が付いています。
彫刻の作業場も再現されていました。
下記はレンガ造り独居房で、国の有形登録文化財です。
とてもさみしい独居房です。
他にも独居房がありますが、当時は建物の中と言うよりは、外に独立してあったようですね。
世間一般では、多人数で入る雑居房よりも、独居房の方が待遇が良いと思いがちです。
しかし、受刑者が一番恐れているのは独居房です。
ただでさえ、自由がない獄舎の中で、更に自由を拘束されるのが独居房なのです。
塀の中は自由がないとはいえ、労務を行う工場まで数百メートル程度の「通勤」があり、平日は30分ほど外のグランドに出て運動をすることもできます。
しかし、昼夜間、すなわち24時間独居房に入ると、このわずかな楽しみも奪われるのです。
テレビはなく、3度の食事を食べるのも独居、昼の作業も独居の中、トイレや寝るのも独居と24時間拘束されます。
平日の運動は、独居から出ますが、外に出ると言う事ではなく、屋内の個別運動場です。
1回15分、週2回の入浴時間だけは唯一出れますが、楽しみの集会や運動会などには出られません。
このように人と話す機会もほとんどないことから、独居房は恐れられていると言います。
下記は浴室(浴場)です。
脱衣に3分、第1槽入浴3分、洗身3分、あがり湯の第2槽入浴3分、着衣に3分と、入浴時間は合計で15分間となっています。
昔は6月から9月まで夏場で月5回入浴、他の月は月1回と定められていましたが、現在は週2回(夏は3回)です。
ただし、入浴時間15分と言うのは、日本全国の刑務所では今でも同じでして、泡だらけで15分の終了となると、かなり怒られると言います。
網走監獄で一番の見どころと言える、舎房及び中央見張所(重要文化財)です。
建物が大きすぎて、とても写真に入りきらないうえに、逆光で申し訳ありません。
逆光防止であれば午後が良さそうです。
五翼放射状平屋舎房は、日本最古の現存する刑務所施設で、木造の行刑建築としては世界最古となります。
五翼放射状平屋舎房と言葉で説明されてもよく分からないと思いますが、古い写真の展示がありましたのをご参考願います。
舎房及び中央見張所の内部は建物に入って見学できます。
真ん中に見張り所があり、そこから伸びている通路を見張れます。
結構、長い通路になっており、その両側に雑居房があります。
房は下記のような感じです。
冬はとても寒かったと思います。
壁ではなく格子になっていますのでね。
ちなみに、現在の網走刑務所は、刑期10年以下の受刑者が主で、起床時間は朝6:40、就寝は21:00とのことです。
このように網走監獄は、高倉健さん主演の映画「網走番外地」シリーズが人気となったことで、網走刑務所の名前は良く知られている観光名所となっています。
また、実際に刑務所の食堂であった「網走刑務所旧二見ヶ岡農場食堂棟」と「監獄食堂」では、現在の網走刑務所で収容者が食べている食事と同じメニューを再現した「体験監獄食」を頂くこともできます。
監獄食堂
監獄食堂ですが、営業時間は朝10時からでした。
ラストオーダーは14時30分までです。
食事内容を撮影するのは好みではありませんので、写真はありませんが、限定のランチを頂きました。
券売機で食券を購入すると、オーダー内容が自動で調理場に行きますので、そのままテーブルで呼ばれるのを待っているシステムで「セルフ式」となっていました。
刑務所の食事を再現している監獄食は、魚メインで2種類あります。
開館時間
網走監獄の営業時間ですが、5月~9月は朝8時30分~17時入場締切で18時まで。
10月~4月は朝9時~16時入場締め切りの17時まで。
年中無休で定休日はありません。
ガイドさんによる説明も受けることができます。
見学所要時間はですが、散策マップを見ながらフルコースを足早に回って、食事もした私の場合で60分でした。
じっくり見る場合には、2時間と言ったところでしょうが、敷地内は自由に回れますので、短縮することはいくらでも可能です。
各種電子マネーにも対応しています。
入場料の割引・クーポンは、【PR】JAF割引が使えるほか、インターネット上にも割引券がありますので、画像をスマホで提示しましょう。
ただし、割引利用時にはクレジットカードは使えないため、現金払いとなります。
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アクセス・行き方ですが電車の場合、JR網走駅から網走バスの市内観光施設めぐりバス利用が便利です。
路線バスで行く場合「刑務所前」を調べていくと、本物の網走刑務所に到着してしまい「面会かな?」なんて思われたりするかも知れませんので「網走監獄」でお願いします。
クルマの場合、女満別空港から約20分と近く駐車場は400台で無料です。
カーナビ設定も「網走刑務所」で検索しますと、本物に行ってしまい、15分ロスします。
これらの珍現象は、冗談抜きで、実際に網走刑務所に行ってしまう方もいます。
当方のオリジナル北海道地図でも使って、カーナビ代わりにしてみてください。
時間があれば、近くの天都山・オホーツク流氷館もセットでどうぞ。
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