神武天皇(じんむてんのう)は、日本の初代天皇とされる人物です。
日本書記にも神話・伝説上の人物として登場します。
15歳の時に皇太子となり、吾平津姫(あひらつひめ)※古事記では阿比良比売(あひらひめ)と結婚しました。
2400年前と、かなり昔の話ですので、諸説あり不明な点も多いのですが、御理解の上、ご覧いただけますと幸いです。
どうも高原町(霧島連山の東あたり)を領していたようで宮崎を支配下に収めると、兄・五瀬命らと日向一の宮である都農神社で戦勝祈願をして、宮崎県の美々津(みみつ)にたどり着きます。
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そして、ここで船を建造したとされますが、その指揮にしてもあまりにも忙しく、ほころびた衣を立ったまま縫わせたことから、美々津には立縫(たちぬい)と言う地名が今でも残っています。
意味的には町内と言うことらしいのですが、8月2日の出港予定として風待ちをしていたら、天候も良くなったということで、急遽八月一日の夜明けに御船出を決めました。
町の中では人々を起こしてまわったため「起きよ、起きよ」の声が美々津に響いたとされ、これが旧暦八月一日に行われる「おきよ祭り」の由来になっているそうです。
45歳になっていた神武天皇は、立磐神社(たていわ-じんじゃ)で航海の無事を祈った際に、しばらく腰掛けて身を休めたという岩は「御腰掛岩」として、現在も立磐神社(上記写真)の境内にあります。
船で東征に出ます。
その東征に出た場所が、宮崎県の美々津ということで、神武天皇御船出の地になっており立磐神社(たていわ-じんじゃ)に「御腰掛岩」がある次第です。
※駐車場が見つからず撮影は断念しています。
JR美々津駅から歩くと約20分の日向灘に面した海岸です。
出港した神武天皇は、まずは北上して、筑紫の宇佐にて上陸します。
今でしたら、陸路で行けば良いのではと思いますが、当時の道はそれこそ獣道でして、大勢の軍勢が通行できるような状態ではないため、船で海岸沿いを移動するのが通例となります。
また、長距離の航海は難しい時代ですので、何度も寄港して進んで行ったと考えられます。
そして、宇佐津彦、宇佐津姫の宮に招かれて、姫を侍臣・天種子命の妻にしたとありますので、宇佐神宮にも関わりする宇佐氏を服従させたのでしょう。
その後、瀬戸内海に入るなどして各地を平定しては軍を進め、最終的には熊野から八咫烏の道案内にてヤマトへ入ります。
八咫烏(ヤタガラス)は、サッカー日本代表を勝利に導くシンボルにもなっていますが、八咫烏は8人の地元豪族と考えて良いでしょう。
大和では大国主の娘を正妻に迎えていますので、大和にて日本を統治していたと推測できる大物主(おおものぬし)も降伏して、神武天皇が即位したと言うことが言えるでしょう。
さて、美々津は、このように神武天皇が「海軍」を率いて船出した地であるため、下記のように「日本海軍発祥の地記念碑」もあります。
水軍が日本で初めて編成されて出向した地であると言うことですね。
重要伝統的建造物群保存地区では、古い町並みも残る美々津ですが、できればゆっくり散策してみたいところです。
駐車場が見つからず、断念しました。
・神武天皇~大和朝廷を開いた初代天皇の伝説~
・美々津から車で約20分の日向岬にある「クルスの海」
・馬ヶ背~日向岬にある心洗われる絶景・絶壁スポット
・青島神社~鬼の洗濯岩に囲まれた歴史ある南国風の聖地
・鵜戸神宮~亀石の穴に投げる運玉もある太古からの信仰
・九州の史跡探訪用オリジナル地図(カーナビ代わりにも)
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