高野山の金剛峯寺(こんごうぶじ)は、高野山真言宗の総本山です。
平安時代の816年に空海が嵯峨天皇から高野山の土地を賜り、翌年から弟子達に命じて伽藍建立を開始します。
しかし、高野山は山奥でもあったことから、工事は難航を極め、空海(弘法大師)が835年3月21日に享年62で亡くなるまでに完成した堂は僅かだったとされています。
その後、京都・東寺との確執もあり、994年の落雷でほとんどの建物が焼失すると、僧はみな山を降りて、高野山も衰亡の危機となりました。
しかし、1016年頃から再興が開始されると、1023年には関白・藤原道長が参詣し、その後、白河上皇、鳥羽上皇なども参詣するなど、高野山は浄土として信仰を集めます。
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1211年には、源頼朝の供養の為、北条政子が金剛三昧院(多宝塔)を建立するなど、2000もの堂舎が建立され最盛期を迎えます。
戦国時代には高野山も当然ながら比叡山・石山本願寺などと同じで、武力を誇っていましたので、織田信長と敵対します。
1581年、荒木村重の家臣が高野山に逃げ込み、織田信長が高野山に引き渡しを求めましたが拒否されると、織田信長は全国の高野山の僧を数百名殺害し、数万の大軍にて高野山攻めが開始されました。
しかし、まもなく明智光秀による本能寺の変にて織田信長が横死したため、高野山は難を逃れています。
その後、豊臣秀吉も高野山に圧力を掛けますが、高野山真言宗の僧で武将でもある木食応其(もくじき-おうご)が、1585年に豊臣秀吉に臣従を誓ったため、高野山は存続できました。
そして、1592年に亡くなった豊臣秀吉の母・なかである大政所の菩提を弔う為に建立されたのが「高野山青巌寺」です。
豊臣秀吉は中村一氏と小出秀政を高野山に送って建造に当たらせ、1万石の寄進をして木食応其を開基に青巌寺を建てました。
金剛峯寺の内部は有料拝観で見学する事ができます。
主殿はかなり大きな建物です。
1595年には高野山に蟄居させられていた関白・豊臣秀次が青巌寺にて切腹しており、高野山の金剛峯寺には豊臣秀次自刃の間が再現されています。
この豊臣秀次自刃の間の写真に関しては、下記の記事の末尾にてご紹介させて頂いております。
・豊臣秀次自刃の間(金剛峯寺)(豊臣秀次の記事の下部にて)
明治になって青巖寺と興山寺が合併し「金剛峯寺」となりました。
そのため、昔の青巖寺は現在の金剛峯寺と言う事になります。
雨の日に訪れたため、雨の高野山となっております。
別院にある蟠龍庭(ばんりゅうてい)と呼ばれる庭園は、石庭としては日本最大です。
上壇の間は、とても華やかです。
金剛峯寺の主殿は江戸末期の1863年に再建された建物ですが、書院造建築で東西54m、南北63mと、かなり広い建物になっています。
建物内部には台所もあり、現在でも使用しているようです。
水は湧水です。
釜は3つもあり、台所の神様である三宝荒神が祀られています。
1度に2000人分のご飯を炊く能力があるそうです。
とは言え、その昔は「お米」をこんな山の中へ運搬して来るのも大変な労力だったことでしょう。
鐘楼は1864年に再建されたものと推定されています。
金剛峯寺の駐車場は下記が便利です。
※続いて、壇上伽藍方面をご紹介致します。
壇上伽藍
金剛峯寺を後にして次に壇上伽藍へ向かいました。
壇上とは曼荼羅(まんだら)の道場であると言う意味です。
上記は壇上伽藍の中門です。
壇上伽藍・金堂ですが現在の建物は8度目の再建です。
内部は200円で拝観可能です。
入母屋造りの内陣の両側には、平清盛が自らの額を割った血で、中尊を描かせたという通称「血曼荼羅」の模写が掲げられていると言います。
高野山の開創当時は「講堂」と呼ばれており、平安時代半ばから総本堂として長い間、重要な役割を果たしていたそうです。
根本大塔の内部も200円で拝観可能です。
上記の真ん中の建物が大会堂、左が愛染堂、右が三昧堂で、いずれも江戸時代の建物です。
また、1197年又は1198年建立の国宝・不動堂があるのですが、すいません。撮影は失念致しました。
三鈷の松と御影堂ですが、三鈷の松は空海(弘法大師)の霊跡です
三葉の松葉は黄金色をしており、身につけていると「金運」を招くとされ、落ちている松葉を拾う観光客が絶えませんでした。
六角経蔵(荒川経蔵)と山王院ですが、この辺りも非常に幻想的です。
上記は壇上伽藍の脇にある蓮池です。
昔は蓮が咲いていたそうですが、現在は鯉が泳ぐ池となっています。
オマケショットですが、高野山・増福院で、昔ながらの宿坊となっています。
壇上伽藍の駐車場は下記の場所が一番便利ですが、駐車台数は少ないので土日祝は混雑すると思います。
その場合には、霊宝館の東にある駐車場がお勧めです。
あと、高野山の観光に便利なのは、電動アシスト付きのレンタサイクルです。
高野山の真ん中にある「高野山宿坊組合・中央案内所」にて貸出しており、1時間400円、5時間以上1200円となっています。
貸出時間は朝8時30分~夕方16時30分まで。
※雨天・積雪時は貸出中止です。
そうそう、忘れていました。
高野山の入口にある「大門」の写真は下記です。
ウラから撮影したものですが・・。
以上、長いページを最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。
・5分でわかる空海の生涯~真言宗の弘法大師
・蓮華定院【真田昌幸と真田幸村が最初に蟄居した幽閉の地】高野山
・高野山の徳川家霊台
・大政所【豊臣秀吉の母】と朝日姫とは
・高野山奥の院にある戦国武将供養碑特集~有名武将の墓所総覧に挑む
・5分でわかる空海の生涯~弘法大師
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