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北海道の南の方、松前(まつまえ)にある人気の観光スポットが「松前城」です。
関ケ原の戦いで勝利した徳川家康が天下を取り、1606年に松前家の初代藩主・松前慶広が築城したのが、この松前城(まつまえじょう)になります。
道南では、函館や大沼に次いでの観光地です。
江戸時代の後期、幕末になると、蝦夷地(北海道)にも外国船が出没するようになり、江戸幕府は津軽海峡の警備強化を図るため、17代・松前藩主・松前崇広に「築城」を命じます。
松前藩の家格は外様大名の1万石ですが、江戸期の北海道は米(コメ)が取れないので、藩の収入は交易に頼っており、城ね「福山館」と言う屋敷にすぎませんでした。
しかし、1849(嘉永2)年7月10日に、築城を命ぜられたため、城主大名になった訳ですが、15万両の出費はとても重かったようです。
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城の縄張り(設計)は三大兵学者のひとりである高崎藩の市川一学です。
蝦夷に渡り、道南を歩いた市川一学は、艦砲射撃を受ける福山館ではなく、箱館の北方・桔梗野にある庄司山に築城するよう進言しますが、松前藩士たちは、松前から移転するのが嫌だったようで、結局、福山館を拡大・改修することになりました。
約5年を掛けて、1854年9月に完成した松前福山城は、本丸、二の丸、三の丸、楼櫓6、城門16、砲台7座を備え「松前城」と呼ばれるようになりました。
北海道では初めての日本式城郭ですが、日本で最後の日本式城郭でもあります。
明治維新には蝦夷地に独立政権樹立を目指す榎本武揚の旧幕府軍が、五稜郭を占領したあと、松前城にも押し寄せています。
元新選組の土方歳三が700名ほどで松前城を攻撃すると、わずか数時間で松前城は落城しましたが、これは松前藩主らが、新築中だった館城へ既に撤退していたからです。
幕末の動乱や太平洋戦争でも残っていた松前福山城の天守閣は、1949(昭和24)年6月5日未明に松前町役場から出火した飛び火により焼失してしまいました。
現在の松前城天守は、1961年(昭和36)年に再建された外観復元天守で、内部は資料館になっており、有料拝観できます。
松前城の見学
松前城の見学は冬季閉鎖されています。
開館・公開時期は4月10日~12月10日です。
開館・公開日時は朝9時~17時(入館時間は16時30分まで)
割引券やクーポンなどは無いようです。
駐車場は下記の地図ポイント地点となります。
松前公園は桜の名所で、毎年4月中旬ごろには大変多くの観光客でにぎわいます。
おまけのドライブ情報として白神岬をご紹介します。
北海道「最南端」白神岬
白神岬(しらかみみさき)は、北海道松前郡松前町にある北海道最南端の岬で、津軽海峡に面しています。
日本有数の渡り鳥の中継地にもなっており、春にはシベリア方面、秋には越冬のため本州へと、年間およそ100万羽の鳥がここから津軽海峡を渡ります。
天気が良ければ対岸の津軽半島や岩木山も望めると言います。
トンネルがあるのですが、そのトンネルの東側・海側に20台くらいの駐車スペースがありますので、ぜひ、お立ち寄り頂ければと存じます。
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