童話作家として知られる宮沢賢治(みやざわ-けんじ)は、岩手県花巻市で生まれ育ったことから、花巻(はなまき)は宮沢賢治の里と言う事で、宮沢賢治に関連する様々な観光施設・資料館などがあります。
そんな宮沢賢治の世界観を楽しめる施設には、日本全国・世界各国から観光客・宮沢賢治ファンが訪れます。
宮沢賢治の作品を読み解く言葉にて「イーハトーブ」と言う重要なキーワードがあります。
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そもそもイーハトーブは、どういう意味なのかと申しますと、宮沢賢治の世界観にある理想郷の事を言います。
宮沢賢治が作った造語で、自身が理想チスル環境の事をイーハトーブ呼びましたが、岩手県をモチーフにした言葉だと言われています。
銀河鉄道の夜で描かれたように、理想を求めて、永遠に向かうのです。
これらの、宮沢賢治のことをより詳しく知ることもできる花巻観光としては、基本的に「宮沢賢治記念館」と「宮沢賢治童話村」の2箇所となります。
宮沢賢治記念館
宮沢賢治記念館は、関係資料からスクリーン映像などで、作品の解説・展示紹介している、宮沢賢治の博物館的な観光施設となります。
館内は撮影禁止のため、申し訳ありません。
ご紹介できる写真はありません。
見学所要時間は個人差があると思いますが15分~40分程度になるかと存じます。
駐車場は無料で、大型バス7台 普通車40台ほど止められます。
また、駐車場の反対側には、レストラン・お土産店の山猫軒があります。
ただ、記念館の駐車場は、山の上にあり、結構な坂道を登って行きます。
また、駐車台数が限られますので、土日祝やGW・お盆期間などは、満車で渋滞になる可能性もあります。
駐車場に止っているクルマのナンバー見ても、ほんと、遠い所から皆様いらしてます。
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路線バスの場合には、麓のバス停「賢治記念館口」で下車して、遊歩道(登り坂)を登って行く感じになります。
足腰に不安がある方は、花巻駅・新花巻駅から、行きだけでもタクシーで宮沢賢治記念館に行くことも、一考です。
下記でご紹介する宮沢賢治童話村は、そのバス停付近(麓)にあり、ほぼ段差なく入れます。
自動車の場合は、クルマで次の施設に移動しましょう。
駐車場の場所は、当方のオリジナル地図にて印してあります。
宮沢賢治童話村
宮沢賢治童話村も、必見です。
宮沢賢治童話村は、広い敷地の中ほどに、モダンな建物があります。
これは「賢治の学校」と言う名前になっています。
パッと見、どこが入口か?、わからないのですが、左手の円柱の建物の左側が玄関になります。
入口から、少し歩きますが、基本的には平坦なので、ベビーカーでも大丈夫です。
宮澤賢治の童話の世界を楽しく遊べる施設になっており、子供でも楽しく過ごせる工夫がなされています。
撮影も許可されています。
上記でご紹介した宮沢賢治記念館が資料館でしたら、宮沢賢治童話村はテーマパークと言う表現が、分かりやすいかもしれません。
下記のような銀河ステーションも、渡って進みます。
賢治の学校を出ますと、何棟もあるログハウスも見学できるようになっています。
ログハウスでは、宮沢賢治の童話などに出て来る植物などの展示・解説となっています。
観光所要時間は40分~60分といったところで、最後にはお土産物店もあります。
広い芝生エリアもありますので、お弁当持参で、1日滞在しても良いところ、小学校の遠足には最適な施設です。
宮沢賢治童話村は、大通り沿いにあり、岩手交通バス・土沢線(路線バス)のバス停からも近いです。
駐車場も大きく満車になりにくいです。
訪問する順番としては、先に資料展示中心の宮沢賢治記念館を見学して、そのあと宮沢賢治童話村で良いかと存じます。
入場チケットも、宮沢賢治記念館と宮沢賢治童話村の両方でセット割引になる「2館共通チケット」ですと少しお安く・お得に観光できます。
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以上の2館で、充分だと存じますが、宮沢賢治に関して、もっとたくさん、くまなく見ておきたいと言う場合には、花巻市博物館、花巻新渡戸記念館もセットになった共通の割引入館券で訪問されると良いでしょう。
いずれも、最初にチケットを購入する際に、選択すると良いです。
【PR】JAF割引は無い模様です。
あとは、宮沢賢治イーハトーブ館もありますが、こちらは無料です。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾(よく)ハナク
決シテ瞋(おこ)ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
この有名な詩も、宮沢賢治の死後に、手帳に記載されていたのが発見された遺作メモです。
意味としては下記の通りになります。
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けず
丈夫な体を持ち
欲はなく決して怒らず
いつも静かに笑っている
すなわち、雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく頑張り、自分のことだけではなく、人を思り生きていこうと言う、願いと申しましょうか、自己目標とでも言いましょうか・・。
この詩には、実は続きがあります(諸説あり)ので、それらを考慮しますと、見返りを求めず人に尽す、仏様のような心境でありたいと願ったのかなと感じます。
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宮沢賢治が生まれた家は、宮澤商店と言う古着屋・質屋で、裕福な家庭でした。
小学校での学業成績は優秀で、今で言うオール5の成績だったと言います。
しかし、自分は裕福で困らなくても、人々は貧しいままであることに疑問を感じたようで、岩手大学農学部に首席で入学し、農業の専門家を目指します。
そして、土壌学を学ぶと、農業技術の指導員となり、また、花巻農学校でも教鞭をとりました。
なお、石川啄木の影響を受けており、その傍ら、詩や童話の執筆も行ったと言う事になります。
宮澤賢治は生涯独身で「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」などの約100本の童話や寓話、1000余りの詩や文章を書きました。
宮沢賢治の死因は急性肺炎とされていますが、1933年(昭和8年)、37歳の若さでこの世を去りました。
生きている間は無名であり、原稿料をもらったのは、農学校の教師だったころに執筆した「雪渡り」の1篇だけ(5円だけ)と恵まれませんでしたが、死後、交流があった高村光太郎、草野心平など仲間が、宮沢賢治の遺作を世の中に広めたと言う事になります。
そして、今では、教科書にも宮沢賢治の作品が掲載されるなどに至っています。
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このように、花巻の市街地にも、宮沢賢治にまつわる観光スポットがいくつもあります。
宮守川橋梁(めがね橋)も、銀河鉄道の夜に関する目玉スポットですので、レンタカーなどの場合には、ぜひお勧めです。
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