鞆の浦とは
鞆の浦(とものうら)は、瀬戸内海国立公園、国の名勝「鞆公園」に指定されており、広島県福山市鞆地区にある港湾とその周辺を差します。
美しい町並みが残る鞆の街は「都市景観100選」「美しい日本の歴史的風土100選」「日本二十五勝」にも選ばれており、多くの観光客が訪れる広島の人気観光スポットです。
古来より瀬戸内海は、潮の満ち引きで海流が発生しますが、九州側の豊後水道からと、南紀側の紀伊水道から満潮時に流れ込んだ海水は、瀬戸内海のここ「鞆の浦」でぶつかります。
逆に干潮となると、鞆の浦から東西に海流が流れていくのです。
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どういうことかと申しますと、エンジンなど動力がない昔に瀬戸内海を「船」で航行する場合には、この海流(潮の流れ)を利用しました。
そのため、鞆の浦はその海上交通の要所「潮待ちの港」として、補給も兼ねて必ず舟が立ち寄るような場所となり、とても栄えたのです。
万葉集には、鞆の浦を詠んだうたが8首も含まれています。
宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」(2008年公開)でも、この鞆の浦がモデルになったとされます。
浦(うら)とは入り江を意味する言葉です。
江戸時代までの港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」の全てが日本で残っているのはこの鞆港だけで、とてもノスタルジックで、歴史もギュッと詰まった港町です。
古い街並みと海のコントラストが、とても良い雰囲気を出しています。
流星ワゴンや探偵ミタライの事件簿・星籠の海のロケ地にもなりました。
鞆には、足利義昭が鞆幕府を設けた鞆城跡と、南北朝時代からの大可島城跡がありますが、城跡は別ページにて詳しくご紹介させて頂いております。
常夜灯は、日暮れまでに寄港できなった船が、暗い夜間でも到着できる目印になるよう、一晩中つけておく明かりのことを言いますが、今で言えば、灯台のようなものです。
太田家住宅
幕末には、1863年、尊皇攘夷派の三条実美ら7人の公卿が、公武合体派によって京都を追われて長州に逃れます。
この七卿落ちの際に、鞆港に立ち寄っており、福山藩の御用名酒屋を務め、鞆の浦の名産品となった「保命酒」の蔵元・中村家に宿泊しました。
福山藩の御用名酒屋を務めた中村家の住宅となり、国の重要文化財に指定されています。
また、1864年(元治元年)に長州から京都に上る際にも、船で鞆港に寄り中村家主屋と朝宗亭を宿泊所としています。
この中村屋は現在の太田家で、建物が有料公開されています。
説明がつくタイプの拝観です。
営業時間は朝10時~17時で、火曜定休(祝日の場合は翌日)と年末年始(12月29日〜1月3日)がお休みです。
料金は、中学生以上400円、小学生200円。
この太田家住宅が、鞆七卿落遺跡となります。
坂本龍馬との縁
坂本龍馬も鞆の浦には何回も訪れています。
特に、坂本龍馬が「海援隊」を結成して、海上輸送事業を始めた際の1867年、借りていた伊予・大洲藩所有の「いろは丸」が長崎港から大坂に向かっていたところ、備中の笠岡諸島付近で、紀州藩の軍艦「明光丸」と衝突事件が発生しています。
このとき、いろは丸に乗船していた坂本龍馬ら海援隊はと、明光丸の乗組員は鞆の浦に上陸しました。
そして、坂本龍馬と紀州藩との賠償交渉が、鞆の対潮楼などで4日間行われています。
結局、鞆での交渉はまとまらず、長崎奉行所にてその後の交渉もしていますが、坂本龍馬が宿泊した桝屋清右衛門宅なども有料公開されています。
また、鞆の沖に沈んでいる「いろは丸」の足跡が分かる資料館「いろは丸展示館」も、常夜燈と太田家住宅近くにあります。
下記にて詳しくご紹介致しております。
ささやき橋の伝説
古くからの言い伝えがたくさんあるのも鞆の浦です。
西暦200年頃の昔話です。
応神天皇の招きで、百済から王仁博士(わにはかせ)ら渡来人の一行が来日し、京の都へと向かう際に、鞆の浦に寄りました。
大和朝廷は、武内臣和多利(たけのうちのおみわたり)を出迎えに鞆に派遣したのですが、別途、踊り子となる「官妓」として江の浦(えのうら)も派遣されて、2人は出逢います。
和多利(わたり)と、江の浦(えのうら)の2人は恋に落ち、役目も忘れて夜ごと橋の上で逢瀬を重ねたと言います。
小さな港町ですので、それがすぐに噂になり、度が過ぎていると言う事で上司は怒り、二人は捕縛されて、抱き合えないように後手を縄で縛られて、海に沈められたと言います。
その橋のたもとで、毎夜、和多利と江の浦の「ささやき声」が聞こえるとようになったと言い、誰ともなしに、この橋を「ささやき橋」と呼ぶようになりました。
この悲恋を語り継ごうと、橋のあった場所に碑が建っていますが、それが現在の「ささやき橋」(下記写真)と言う事になります。
忠義の戦国武将・山中鹿之助の首塚もすぐ近くになります。
仙酔島
仙酔島(せんすいじま)は、鞆の浦にある島で、無人島ですが、島内には温泉ホテルや国民宿舎、キャンプ場があります。
鞆の浦第一駐車場脇の「鞆の浦福山市営渡船場」から、仙酔島行きの渡船「平成いろは丸」が運航されています。
下記が、鞆の浦福山市営渡船場です。
鞆から仙酔島に渡る一番早い便は朝7時10分発で、一番遅い便は夜21時30分です。
日中は1時間に3本のペースで運航されていて、鞆から仙酔島までの乗船時間は約5分となっています。
料金は往復で大人240円です。
なお、単に待っていても、声なんて掛けてもらえませんし、まだ乗れない旨の看板が出ていても、実際には乗船できるバターンが多いようですので、船が接岸していたら「乗船して良いですか?」と尋ねると良いかと存じます。
という事で、今回、仙酔島に渡って、島内を散策させて頂きました。
下記が航路です。
渡船の中には、弁天島(百貫島)も見れますので、風景はあきません。
下記は、仙酔島に上陸したあたりです。
下記の写真、わかりますね?
自然の「トンネル」ができています。
切り通しのような狭いところを抜けると国民宿舎・仙酔島があるビーチに出ます。
仙酔島の散策案内図は下記の通りです。
砂浜の先から海岸線沿いに、近代的な遊歩道がありますので、そこを歩いて行きます。
振り返れば、とてもキレイな砂浜がありました。
泳ぎたくなってしまいます。
切り立った崖下の海岸線をゆっくりと歩いていきますが、ブラタモリのように断層など色々と楽しめます。
明治天皇、大正天皇、昭和天皇、今上天皇、皇太子徳仁親王なども好んで訪問している仙酔島という名称は、仙人も酔ってしまうほど美しい島という意味で、日本で唯一ここにしかない五色岩もあります。
要するに、色が5つに異なる岩が、この辺りに集中していると言うことなのですが、太陽光線が強すぎるのか?、正直、よくわかりませんでした。
3つくらいには、別れているように感じましたが・・。
動画も撮影してみましたが、下記のほうが、イメージがよくわかるかと存じます。
仙酔島は時間無理して、上陸しましたが、訪問して本当に良かったです。
気持ちが晴れ晴れとなりました。
浦島太郎の浜、電磁波がアースできる浜がありますが、島内ではクルマは走れませんので、徒歩となります。
鞆の浦から船に乗って、仙酔島にて五色岩のところまで歩いて、また鞆の浦に戻るまでの観光使用時間は、約65分でした。
アクセス
電車とバスで行く場合は、JR福山駅にて鞆鉄バス・5番乗り場から、バス利用で約30分となります。
鞆の浦の難点としては、昔のまんまのため、道路がとても狭いと言う事です。
駐車場も多くないので、車で移動しながらの観光はとても困難です。
そのため、有料駐車場に止めて、クルマを降りてからの徒歩での観光となります。
観光所要時間は2時間~3時間といったところです。
仙酔島にも渡る場合には+1時間以上みた方が良いです。
鞆の浦の街中は、江戸時代の地図がそのまま使えるくらい、ずっと変わっておらず、昔の日本の風景があります。
美しい海岸線に無粋な橋を追加して、バイパス道路を作ると言う計画もあるようですが、景観が壊れると言う事にならないのを、祈るばかりです。
猫も多いですし、今度はもっとゆっくり時間を確保して、訪れたいところです。
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