目次 contents
長崎の島原半島半の中心部は「雲仙」(うんぜん)と呼ばれる火山地帯であり雲仙温泉の避暑地でもあります。
そもそも島原半島の西にある海・橘湾がカルデラ(千々石カルデラ)になっており、その地下13kmにあるマグマだまりから供給されるのが、外輪に位置する雲仙との事です。
現在、雲仙天草国立公園(うんぜんあまくさこくりつこうえん)となっていますが、日本で最初に国立公園に指定されたのが雲仙と言うくらい、昔から有名な観光地です。
雲仙地獄めぐり
雲仙地獄ですが、噴気孔が上がっている地区はいくつかに別れています。
一番大きいのは温泉ホテルの富貴屋さんの裏手から、南にある宮崎旅館に掛けての一帯となり「遊歩道」が整備されています。
あとは、国道57号脇となる九州ホテルの北側、そして雲仙お山の情報館の北西側となります。
それでは、さっそく雲仙の地獄めぐりをご紹介したいと存じますが、先にお断りさせて頂きます。
取材時には「雨模様」となってしまいました。
そのため、写真には「雨粒」が入った状態のもありますこと、お詫び申し上げます。
スポンサーリンク
途中、雲仙地獄めぐりを動画でもご覧頂けるようにしておりますが、それも雨の音が大きな音で入っています。
そのため、このページのタイトルにも「雨天編」と入れさせて頂いております。
ご容赦願います。
まずは、富貴屋さんの裏側の雲仙地獄からです。
出入口は富貴屋さんの北側(温泉神社)の国道57号から「徒歩」で入れます。
どこも入場料などは不要です。
遊歩道の地図的には下記の通りです。
遊歩道はきちんと整備されていますので、歩きやすいですが、ハイヒールはやめておいた方が無難かと存じます。
温泉旅館に宿泊している場合には、雨の日は「傘」も貸してくれると存じます。
下記に写っている建物は富貴屋さんです。
建て替えて、星野リゾートになるとのことです。
それにしても、火山の噴気ですので、硫黄の臭いが致します。
硫化水素ガスですので、思いっきり吸い込まないようにご注意願います。
かつて「うんぜん」に当てはまる漢字は「温泉」(うんぜん)だったそうです。
よくわからないですけど・・。
雲仙は、大宝元年(701年)に行基によって開湯されたと言われています。
江戸時代に入って1653年に共同浴場「延暦湯」が開設され、1672年には、島原藩主・松平忠房が、加藤善左衛門を湯守役として配置しました。
特に島原ではキリシタンが多く、棄教しない者はこの雲仙に連れて来られたそうです。
そして、熱湯の湯壺に入れられると言う拷問を受けても、キリスト教を捨てずに殉教した切支丹が30数名いたとされています。
とにかく、雲仙地獄は比較的大きな規模になっています。
下記はお糸地獄です。
お糸は島原城下で、密通した挙げくに、夫を殺害した罪で処刑されたと言われています。
湯守であった加藤善左衛門は、1695年に、湯治客が宿泊できる旅館を始めました。
その旅館が現在の「雲仙湯元ホテル」であり、今でも加藤氏が経営なさっておられます。
なお、九州ホテルさんの裏側辺りにある雲仙地獄では「温泉たまご」が1個100円(5個400円)で販売されています。
夕方、17時か18時頃まで販売しているはずなのですが、この日は雨天のためか、既に閉まっていました。
ただ、箱根の大涌谷の温泉たまごと異なり、黒くはなっていません。
下記は泥地獄(泥火山)ですが、雨でだいぶ泥が薄まってしまったようです。
雲仙・宮崎旅館さんの庭にも雲仙地獄がありました。
国道57号線も先がみえないくらいの湯けむりに包まれます。
下記の清七地獄は国道57号沿いにある雲仙地獄です。
キリシタンであった清七が、処刑された時に噴出したと言われています。
1823年にはシーボルトが著書の中で、雲仙をヨーロッパに紹介しました。
下記は旧八万地獄です・
雲仙地獄巡りはグルッと一周して約60分でした。
ゆっくり歩くと90分くらいかと存じます。
是非、ホテルへのチェックインを少し早めにして散策なさってみて下さい。
さて、雲仙地獄めぐりの有料駐車場ですが、国道57号沿いにいくつか点在しています。
一番便利なのは、下記の地図ポイント地点の有料駐車場になるかと存じます。
上記の駐車場でしたら、雲仙新湯温泉館と言う日帰り温泉施設で入浴するのも便利です。
動画は約3分40秒です。
雲仙地獄がどのようなところか、よりご理解頂けるかと存じます。
しかし、前述のとおり「雨天」ですので、その点だけご容赦願えますと幸いです。
下記は、雨は降っていなかった別の日の写真です。
関東からはるばる雲仙を訪れて、その6ヶ月後に、また雲仙に宿泊する機会に恵まれまして、再訪致しました。
何度来ても、良いところです。
ただし、泥地獄は前日に雨が降ったせいか?、今回も沼状態でした。
雲仙普賢岳の火砕流
ちなみに江戸時代の1792年4月1日には、2月から続いていた噴火により、雲仙岳眉山が山体崩壊したそうです。
その土砂が海岸まで到達し、海に流出したことから有明海(島原湾)で津波が発生し、肥前国と肥後国で死者・行方不明者1万5000人という、日本有史以来最大の火山災害も発生しました。
直近では、1991年(平成3年)6月3日の夕方16時8分に発生した、雲仙の「大規模火砕流」が記憶に新しい所です。
雲仙岳(うんぜんだけ)の地獄跡火口から溶岩ドームが成長し、一気に崩落しました。
この時、雲仙普賢岳の火砕流は300度~400度と言う高熱で、4.3km地点まで到達し、報道・消防関係者ら死者・行方不明者43人が犠牲となりました。
体積した土砂は高さ130mにもおよび、埋没するなどの家屋被害は1399戸、被害総額は2300億円です。
砂防ダムなど土石流対策としての復興費用は総額約1100億円にも及びますが、地域住民や島原を訪れる観光客の安全が確保されています。
なお、現在、火山活動は沈静化しております。
また、雲仙温泉街は、この火砕流・土石流が発生する東側では無く、西側にありますので、万が一、雲仙岳で再び同じ噴火が発生した場合、直接被害を受ける可能性は低いです。
雲仙温泉の旅館・ホテル
買い物などは不便な山の上ですので、素泊まりではなく、1泊2食付がお勧めです。
・雲仙温泉「富貴屋」~雲仙地獄に隣接する温泉旅館
・雲仙温泉「ゆやど雲仙新湯」にも宿泊致しました
・雲仙小地獄温泉 国民宿舎「青雲荘」~乳白色の100%源泉掛け流し
この記事へのコメントはありません。