岩手県の平泉にある達谷窟(たっこくのいわや)は、801年、蝦夷の阿弖流為(アテルイ)などを討伐する征夷大将軍として赴任した坂上田村麻呂が、ここ達谷窟を拠点としていた蝦夷(悪路王)を討伐した記念として建立したのが達谷窟・毘沙門堂と言われています。
平泉・中尊寺からは、約6キロ離れたており、厳美渓へと繋がる道路沿いにあります。
丘陵があるのですが、その先端部に現在の天台宗・達谷西光寺があります。
達谷西光寺の境内は神域と言う事で、喫煙・飲食・ペットなどの動物同伴は禁止です。
入口で拝観料をお支払して境内に入りますが、お寺さんなのに鳥居もありますので、神仏混淆の社寺です。
もっと、山の中だと想像していたのですが、そんなことは無く、ほとんど平地でして、境内を歩くのにも、階段などはあまりありません。
そういう意味では、平泉・中尊寺よりラクラクです。
すぐに切り立った大きな岸壁と、その岩肌に吸い付くように建てられた毘沙門堂が見えて参ります。
岸壁の大きさは、東西約150メートル、最大標高差およそ35メートルと言う事で、その下方の岩屋に懸造の窟毘沙門堂があります。
坂上田村麻呂は、京の清水寺を建立したとも言われている人物ですので、この毘沙門堂も、清水寺に習って建て、更に鞍馬寺にならって108体の多門天を奉ったのが始まりとされています。
毘沙門堂の内部は撮影禁止でしたので、写真はありません。ご了承願います。
その後、藤原清衡が平泉に本拠を移した際にも、西光寺を保護したようです。
1615年には、仙台城主・伊達政宗により再建されました。
下記は毘沙門堂の前に建つ、弁天堂です。
切り立った崖の一番左側のうえには、直接掘られた仏様(磨崖仏)があり、大日如来あるいは阿弥陀如来と考えられています。
「北限の磨崖仏」と言われています。
前庭には蝦蟆ヶ池(がまがいけ)と弁天堂があり、その奥に見えるのが毘沙門堂です。
牛玉宝印(ごおうほういん)も1000円にてありました。
坂上田村麻呂に由縁する話としては、蝦夷(えみし)の悪路王、赤頭、高丸がこの達谷窟(高丸城)を拠点としていたそうです。
そこで、桓武天皇(第50代天皇)の命にて坂上田村麻呂が征夷大将軍となり、蝦夷征伐を行います。
悪路王たちは達谷窟から3000の兵(賊徒)を率いて対抗しますが、801年、坂上田村麻呂は、激戦の末に、ここで蝦夷を打ち破り、悪路王、赤頭、高丸の首を刎ねて蝦夷平定を果たしたと寺には伝わっています。
この話は、義経記、吾妻鏡、諏方大明神画詞、日本王代一覧・元亨釈書などいくつかの文献でも同じような記述がみられます。
悪路王は蝦夷の指導者・阿弖流為(アテルイ)を指すとする説もありますが、勝者(征服者)によって、負けた側の主導者は「悪いことをした奴だった」と書かれますので、悪路王とされるのです。
下記は達谷西光寺の金堂です。
誤解が無いように記載しておきますが、中尊寺・金色堂は金ピカです。
しかし、金堂と言うのは、ご本尊を安置する寺院の仏殿の事を言います。
内部に金箔を使用することがあったことから、金堂でして、外観も金箔を使っているとは限らないのが普通です。
さて、達谷窟毘沙門堂への行き方・アクセスですが、下記の地図ポイント地点が無料駐車場となります。
観光所要時間は約20分といったところです。
奥州討伐を行った源頼朝、も鎌倉への変える際に、達谷窟毘沙門堂を参拝しています。
皆様、是非、平泉を訪れた際には、足を延ばしてみてはいかがでしょうか?
南には厳美渓もありますので、セットでどうぞ。
・藤原清衡とは~後三年の役を経て台頭した奥州藤原氏の初代~
・5分でわかる坂上田村麻呂とは~胆沢城と多賀城訪問記も
・蝦夷・アテルイと坂上田村麻呂の戦い
・厳美渓(げんびけい)の魅力であるエメラルドグリーンの渓谷と空飛ぶ「郭公だんご」
・歴史公園えさし藤原の郷~大河ドラマなどの撮影ロケ地のセット
金色堂を初めとする世界遺産奥州平泉「中尊寺」の寺院みどころと駐車場情報
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