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走湯権現【伊豆山神社】歴史をわかりやすく解説~源頼朝と北条政子の腰掛石など

伊豆山神社

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伊豆山神社とは

伊豆山神社(いずさんじんじゃ)は静岡県熱海市伊豆山にある神社で熱海観光のスポットにもなっています。

伊豆山神社

山岳信仰と修験道が融合した神仏習合のためか、御祭神は独特で、伊豆山神として天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、拷幡千千姫尊(たくはたちぢひめのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)となっています。
ご利益は、強運守護、福徳和合、縁結びの神様となります。

伊豆山神社

伊豆山神社の別名は下記の通り。

伊豆山権現(いずさんごんげん)
伊豆大権現(いずだいごんげん)
伊豆御宮(いずおんみや)
走湯権現(はしりゆごんげん)
走湯大権現(そうとうだいごんげん)


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創建時期は、社伝によると、孝昭天皇の時代(紀元前5世紀~紀元前4世紀)ごろと伝わりますので、かなり古いです。
最初は、十国峠がある熱海峠の近くに位置していた模様です。(現在の伊豆・東光寺の模様)
飛鳥時代の呪術者・役行者(えんのぎょうじゃ)が、人々を言葉で惑わしているとされ、699年に伊豆大島へ配流となります。
その時、伊豆大島を抜け出し、伊豆山などで修行した際に、麓に「走り湯」(伊豆山温泉の源泉)を発見したと伝わります。

走り湯

いつしか、標高380mの本宮山(ほんぐうさん)に遷座していましたが、836年頃、甲斐の僧・賢安によって現在の場所に移り、空海弘法大師)が修行したともされ、平安時代末期の1180年頃に、後白河法皇が勅撰した梁塵秘抄(りょうじんひしょう)では下記のように記述されています。

四方の霊験者は伊豆の走湯、信濃の戸穏、駿河の富士山、伯耆の大山。

また、伊豆に流刑となっていた源頼朝が源氏再興を祈願し、鎌倉時代には関八州総鎮守となって崇敬されました。

伊豆山神社からの展望

1177年頃、伊東・北の小御所にて暮していた源頼朝(佐殿)と、伊東の領主・伊東祐親の娘である「八重姫」が、密かに通ずる仲となります。
2人は千代丸(千代御前)と言う男子をもうけましたが、1177年頃、3年程留守にして京から戻り、子供のことを知った伊東祐親は、千鶴丸を、稚児ヶ淵に沈めて殺害します。
また、源頼朝の命も狙おうとしました。
しかし、伊東祐親の次男・伊東祐清(いとう-すけきよ)が、源頼朝に危険を知らせます。
<注釈> 源頼朝の乳母である比企尼の3娘が、伊東祐清の妻であった。
そのため、源頼朝は、熱海の走湯権現(伊豆山神社)を目指して、逃げたとされます。

伊豆山神社

途中、一杯水を経由して、熱海に降りると、伊豆山神社に入り、以後は北条時政の保護を受けるようになり、蛭ケ小島にて暮らしたと考えられます。
また、1180年に挙兵する前には、伊豆山権現の僧侶・覚淵を北条荘に呼んで相談もしたようです。
その前後なのかどうかは、わかりませんが、源頼朝と北条政子は、逢瀬を重ねた場所ともされます。

伊豆山神社

もう少し正確に記載致しますと、伊豆山権現にあった別当寺・密厳院の住職、文陽房覚淵が源頼朝や北条政子の世話をしたようです。
この文陽房覚淵(もんようぼう・かくえん)は、源頼朝の側近である加藤景廉の兄弟であったとされます。
境内の左側には、源頼朝と北条政子が、腰掛けて恋を語ったとする「頼朝・政子腰掛石」があります。

頼朝・政子腰掛石

また、御神木となっている、梛の木(なぎの木)の葉は、男女の仲を結ぶお守りになっています。
鎌倉幕府が開かれると、箱根神社(箱根権現)と共に崇拝を集め、伊豆権現は関八州鎮護と称えられ、多くの社領が寄進されました。
後奈良天皇が奉納した自筆の心経一巻は国宝に指定されています。

走湯権現

1180年10月、鎌倉に入った源頼朝は、大蔵御所を建てます。
その頃、伊豆権現の專光坊・良暹も鎌倉入すると、鶴岡八幡宮の仮の別当となりました。
そして、源平池(放生池)の造営などを行ったようです。


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戦国時代には3800名の僧兵を有していたようで、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めにて、社殿が焼失しました。
その後、再建されたようで、江戸時代には伊豆大権現と呼ばれ、江戸城の徳川家康も参拝に訪れ、200石となっています。

伊豆山神社の案内図

ご朱印は、朝9時~16時頃まで

伊豆山神社の見学所要時間は20分~50分程度になります。
お正月の初詣も賑わいます。

交通アクセス

電車の場合、JR熱海駅から、東海バスの七尾原循環に乗車して、所有10分、伊豆山神社前バス停下車してすぐです。
伊豆山神社は標高170mと、熱海は坂道がとても急ですので、歩いて行くと大変です。
タクシーかバスを利用してください。
なお、バス停からは約170段の階段を登った先が本殿となります。
参拝者用の駐車場(30台)は、神社の入口から左側にある急坂(1速でないと登らない)を上がっていた先にあります。
クルマであれば、本殿と同じ高さから参拝が可能です。
下のバス停近くにも6台ほどの駐車場がありますが、上のほうの駐車場のほうが広くて便利です。
当方のオリジナル地図にて駐車場の場所をポイントしておきますので、カーナビ代わりにお使い頂けますと幸いです。


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今回、訪問させて頂いたのは2021年6月1日です。
それから、約1ヶ月後の7月3日、熱海の伊豆山神社の西側にある谷で、大規模な土石流が発生致しました。(伊豆山神社の被害は無いようです)
この伊豆山地区は、とても急峻な場所です。
亡くなられた皆様のご冥福をお祈りすると共に、ご家族・友人の皆様に、謹んでお悔やみを申し上げます。
また、けがをされた方、被害にあわれ、避難されている皆様に対し、心よりお見舞いを申し上げます。

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髙田

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