鰊御殿(にしんごてん)とは、明治時代後期~昭和初期にかけて、北海道の日本海沿岸で隆盛を極めたニシン漁で財を成した網元らの豪華な屋敷のことを言います。
戦前、北海道の日本海沿岸では「ニシン」の漁が大変盛んでした。
松前藩があった江戸時代には、ニシン漁は制限されていましたが、明治維新を迎えると自由に漁ができるようになり、鰊定置網が行われるようになります。
やがて漁の方法も発達し、3日間漁に出れば、1年くらせるくらいの収入になったと言われています。
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ただし、ニシンは冷水域を好む回遊魚でして、春先(3月~5月)の産卵期に北海道の日本海側(小樽から稚内)に来ていた「春ニシン」と言う事になり、1年通じて漁ができたと言う事ではありません。
しかし、北海道ではニシン漁で財を成した網元がたくさん出て「鰊御殿」が並ぶことになりました。
小樽市の鰊御殿は、明治30年(1897年)に、西積丹の古宇郡泊村にあったものを、昭和33年(1958年)に、北海道炭鉱汽船株式会社が現在の場所に移築復元した建物となります。
よって、昔から、その丘の上にあったと言う事ではありません。
実際には、もっと泊村の港に近いところにあったのでしょう。
移築後は小樽市に寄贈されて有料観光できるようになっており、北海道の民家では初めて「北海道有形文化財鰊漁場建築」にもなりました。
現存するにしん御殿の中では、最大級の建物になります。
なんでも、完成するのに7年かかったと言います。
建物が大きいのは、大家族だったと言う事ではなく、にしんの漁を行う際の臨時雇用者(出稼ぎ人=やん衆)が120人程寝泊まりできるようにしていたと言う事が大きいようです。
そのため、狭い土地を活かすためにも、2階建ての屋敷が多かったと言えるようです。
漁獲されたニシンは、ニシン粕、身欠ニシン、干数の子などに加工され、一部は生食用、多くは農地の肥料として使われました。
しかし、乱獲や海水温の変化など色々な説がありますが、そのニシンもやがて不漁となり、1953年(昭和28年)以降は激しく衰退しました。
やがて、ロシア産などの輸入品が日本では主流となっています。
小樽のニシン御殿の建物内では、にしん漁・にしん加工に使われた道具類や、番屋で暮らしていた人々の生活用具・写真などが展示されています。
営業期間・営業時間ですが、冬季は閉鎖されています。
4月上旬から11月下旬で開館しており、時間は朝9時〜175時(10月中旬日からは16時閉館)とになります。
岬にありますので、小樽方面などの日本海の景観も素晴らしいところです。
小樽(祝津)にある鰊御殿への行き方・交通アクセスですが、バスの場合、JR小樽駅から中央バスの「おたる水族館」行きに乗車して約25分、終点バス停下車の徒歩5分となります。
クルマの場合、麓にある空き地のような駐車場は、民間Pで係員がいると有料になるようです。
その空き地のような駐車場の手前・脇から細い道が丘の上へと通じています。
その細い道の終点に無料の小樽市営駐車場があり、普通車・バイクは、そこまで上がると、登り坂を少し軽減して鰊御殿に到着可能です。
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入館料金は、高校生は大人の半額、中学生までは無料です。
小さな観覧車などもある小樽水族館も近いですので、お時間がある方はセットでどうぞ。
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