松代の長国寺(ちょうこくじ)は、真田の里にある長谷寺の住職を開山として、真田信之が上田城から松代城に移った1622年に建立された寺院となります。
真田信之の霊屋、真田幸村・真田大助の供養碑、歴代松代藩主の墓所、真田幸隆・真田昌幸・真田信綱の供養碑など見どころがたくさんある、松代藩・真田家の菩提寺になっています。
長国寺は、現在でも「修行僧」が約10名いる曹洞宗の修行道場です。
ただし、境内に入るとすぐにわかるのですが、俗世と断ち切るようなクローズドの修業寺と言う雰囲気では無く、入りやすかったです。
そして、フランスなど外国からの僧侶も修業に励んでおられるそうです。
お寺さんなのに、屋根の上には「鯱」(しゃちほこ)がありますが、なんでも、松代城のしゃちほこだったそうです。
長国寺の境内は広いです。まだまだスペースがあります。
下記は長国寺の開山堂ですが、3代藩主・真田幸道の霊屋となります。
真田家墓所は「有料拝観」となります。
本堂の手前に出ましたら、右側の建物中で受付となります。
なお「必ず」係員さんによる「案内・説明」が行われますので、約30分~40分ほど観光時間が必要です。
また、定休日(水曜?など)もありますので、事前に公式サイトにて確認してからお出かけ願います。
真田信之の霊屋「初代藩主真田信之公御霊屋」は本堂の裏手にありますが、案内して頂けますので、心配いりません。
説明によりますと、真田家は日光東照宮の造営にも参加していたようです。
その関係で、この霊屋を建てる際に、その彫刻師などに依頼したとの事で、日光の彫刻に類似する点が多く、非常に見事です。
通常料金では、真田信之の霊屋は、外から見るたけですが、特別拝観の500円を追加で支払うと、特別に「内部」も見学可能となります。(ただし、内部は撮影禁止)
国の重要文化財にもなっている真田信之の霊屋の中は、それは見事でした。
日光東照宮並のすばらしい技巧の彫刻などが施されており、小松姫と真田信之の位牌も納められています。
せっかくここまで訪問なさったら、是非、追加料金の特別拝観もお願いなさってください。
下記は、4代藩主・真田信弘の霊屋です。
なお、幕末には全部で5棟の霊屋が残されていたとの事でして、全部現存していたら、国宝になっていたかも?とお話くださいましたが、本当にそうだと感じるほど立派です。
下記は、真田家の墓所にある「真田信之の墓」ですが、供養塔ではなく本物ですね。
下記は後年に設置された、真田幸村と真田大助の供養塔となります。
真田昌幸の墓、真田幸隆の墓、真田信綱の墓も供養塔としてありました。
長篠の戦いで討死した真田信綱の供養塔もあるのは、感慨深いものがあります。
下記は、2代藩主・真田信政の墓です。
上杉家の墓所のように、有料拝観のところは、案内板がしっかりしているので分かりやすいですが、小早川家であったり立花家の墓所などは少し荒れていて、どの墓石がどの人物なのか?、わかりにくいのです。
それらに比べると、長國寺・真田家の墓所は、直接、ご説明も頂けたので、非常にスムーズに見学・お参りさせて頂く事が出来ました。
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松代藩の次席家老となった小山田家累代の墓には、真田信之の姉・村松殿と、夫・小山田茂誠の墓も並んでいると言います。
本堂の左側にたくさんのお墓があり、その中に小山田家の墓があるので行ってみました。
小山田家の墓は見つかったのですが、たくさん墓が並んでいて、どれがどれだか不明でしたので、申し訳ありませんが、小山田茂誠の墓と村松殿の墓は不明です。
松代・長国寺へのアクセスですが、境内の駐車場は下記の地図ポイント地点となります。
ただし、道が結構狭いです。
そのため、カーナビで指定して、そのカーナビが示した道路で行くのが無難です。
近道しようとすると、狭い道で通り抜けや曲がるのが困難だったりして、痛い目にあいますので、ご注意願います。
松代にはもう1箇所、真田信之が隠居生活した場所に、真田信之の霊屋と、真田信之の墓があります。
ご興味がある方は「こちら」の記事の下のほうをご覧願います。
ちなみに、上田市の真田の里にある、長国寺の移転前「長谷寺」には、真田幸隆の墓、真田幸隆の正室の墓、真田昌幸の墓があります。
以上、松代城(海津城)を訪問した際には欠かせない真田家ゆかりのスポット「長國寺」でした。
・松代城(海津城)の歴史~抑えておきたい真田家の松代観光スポット情報まとめ
・真田信之【真田信幸】とは?詳細版で詳しくわかる吉光のお長持
・真田信政とは【第2代の松代藩主】
・真田幸隆・真田昌幸の墓「長谷寺」上田市真田の里
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