須我神社(すがじんじゃ)は、島根県雲南市大東町須賀にあるヤマタノオロチ伝説(八岐大蛇伝説)の神社です。
古事記・日本書紀に記載されている「須賀宮」(すがのみや)が、この須我神社の事ではないかとされています。
肥河上(斐伊川)にて、ヤマタノオロチを退治した、スサノヲノミコト(須佐之男命)は、妻にしたクシナダヒメ(稲田比売命)と、一緒に住む宮殿を立てる場所を探して、出雲・須賀にやってきたとされています。
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そのとき、山から美しい雲が立ち昇るのを見て、下記のような日本最古の歌を残しました。
八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を
この歌の中に出る「出雲」が、出雲の国名の起元であり「八雲立つ」は「出雲」の枕詞になっています。
そして「心が清々しい」場所だと言う事で、日本で始めての宮殿を造営したことから、須我神社は「日本初之宮」(にほんはつのみや)とも呼ばれています。
733年成立の出雲国風土記では「須我社」と記載されているとの事です。
戦国時代の天文年間(1532年~1554年)には、淀之荘の領主とされる中沢豊前守が、信濃・諏訪の出身だったことから、信仰していた信州・諏訪大社の武御名方命を勧請し、須我神社に合祀しました。
神中沢豊前守とも表記されるこの武将ですが、出自などは調べても不明でした。
ただし、諏訪の中沢氏と申しますと、伊那郡中沢郷が発祥の諏訪一族で、室町幕府から命じられて、有力社寺の奉行を務めており、石清水八幡宮、篠村八幡宮、京都の東寺などに中沢氏の名前が見受けられます。
幕府にて活躍している中沢氏の宗家筋は「備前守」を称していることから、須賀に来た中沢豊前守は、宗家ではなさそうですが、同じ中沢一族(諏訪一族)の奉行だと考えられます。
ただし、出雲の中沢氏の場合は、ちょっと異なるようで、室町幕府の命よりも、もっと古い時代の鎌倉時代、信濃・諏訪神社神主家である諏訪氏の一族・中沢真直が、出雲国大原郡牛尾荘を領して牛尾氏を称しました。
戦国時代に、中沢一族(牛尾一族)は、近くにある牛尾城を本拠として、尼子氏の重臣になっています。
その牛尾氏の分家が、中沢氏、菅氏といるため、もしかしたら「須賀」の領主が菅氏だった可能性も考えられます。
本拠の出雲・牛尾城は、須我神社の南側にあります。
須我神社から約2キロ北東に「八雲山」(御室山・みむろやま)があり、その中腹に、須我神社の奥宮である「夫婦岩」(須佐之男命御磐座)が鎮座しています。
もし、奥宮にもお参りする場合には、道は細いですが途中まで、クルマで上がっていけます。
無料の駐車スペースから、奥宮の夫婦岩までは、山道を約400mほど登って行くようです。
須我神社のお札をお持ちの場合、奥宮の納札箱にお札を収めると、二宮参りが完了との事です。
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須我神社への交通アクセスですが、JR木次線の出雲大東駅から「松江しんじ湖温泉行き」のバスに乗車して約20分、須賀バス停下車の徒歩3分となります。
JR松江駅からですと「大東行き」の一畑バス・松江-大東線で約25分、同じく須賀バス停下車で、歩いて3分です。
クルマの場合、麓の北側の方に、無料の駐車場があります。
お守り・御朱印などは、8時30分~17時となっています。
離れたところに、出雲・熊野大社(出雲一宮)もありますので、時間があれば、セットでどうぞ。
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