たろう観光ホテル(たろうかんこうほてる)は、岩手県宮古市田老にある大変貴重な震災遺構です。
1986年に建てられた6階建て30室の観光ホテルで、最大160人が宿泊できました。
しかし、2011年3月11日、東日本大震災による津波で被災・損壊してしまいます。
6階建ての建物の4階まで浸水し、1階と2階は壁も流出してしまったと言う現状が、そのまま残っています。
高さ17mの津波にて、鉄骨がむき出しになりました。
津波の破壊力がこんなにすごいものかと圧倒されます。
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復興庁は、たろう観光ホテルを震災遺構として保存するため、国費(復興交付金)2億1千万円を投じて整備されました。
鉄骨には現状のまま保存できる、錆ない塗装を施しているようです。
11台ほどの駐車場も完成し、2016年4月1日より、震災遺構としての一般公開が始まりました。
外観見学は自由で無料です。
内部の見学に関しては、現在のところ、宮古観光文化交流協会の「学ぶ防災」ツアーに参加する必要があります。
よって、ただ、行くだけでは館内へ立ち入ることはできません。
ツアーは事前予約制で、復興支援協力金(ガイド1名4000円・最大バス1台の人員対応)が必要となります。
ちなみに、元のホテルは、渚亭・たろう庵として高台に移転して営業再開なさっておられます。
その渚亭たろう庵の宿泊プランには、「学ぶ防災」ツアーにて、たろう観光ホテルの内部を見学できるプランもあるようです。
現場に立つと、まだ街もスカスカですし、言葉が出ません。
今回、訪問した際には、ビルにクレーン付きの高所作業者を横付けして、なにやら工事をなさっておられました。
もともと、田老町(たろうちょう)の田老海岸には、長さ2433m、海抜10mと言う、立派な防潮堤が完成していました。
その姿は、津波から街を守っている巨大な構造物と言う事で、観光バスも立ち寄るような注目スポットにもなり、海外からも視察団が来るくらいでした。
防災教育や避難訓練にも熱心な街でした。
しかし、2011年14時46分18秒、東日本大震災が発生すると地盤は約30cm沈下し、大津波は約40分後である15時25分に田老地区に到達します。
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恐らくは海底の地形もあるのだと思います。
海側の防潮堤付近は高さ15mほどの大津波となりました。
防波堤は約500メートルにわたって決壊。
防波堤の脇の道路から、海は見えず、クルマも普通に走行していました。
海水が市街地になだれ込み、他の全ての防潮堤を乗り越え、町をほぼ壊滅させました。
明治三陸津波、昭和三陸津波で壊滅的な被害を受けたのと同様に、田老町は、ほぼ全滅したのです。
ある人は、防波堤があるから大丈夫だと思っていたとも言い、宮古市で最多の181人が犠牲になりました。
強固な壁の存在は住民の誇りでしたが、油断を招いたとの見方もあります。
どんなに立派な対策があったとしても、3.11の教訓として大切な命を守るため、早く逃げて、津波注意報が解除されるまで、高台に留まる重要性を再認識できます。
交通アクセス・行き方ですが、三陸鉄道リアス線の宮古駅から所要20分の田老駅にて下車して、徒歩約20分になります。
クルマの場合には、無料駐車場が利用できますが、その駐車場の場所は当方のオリジナル東北地図にてポイントしておりますので、よければご覧ください。
改めまして、犠牲になられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
また、釜石の街が以前よりも賑わように復興することを節に願いたいと存じます。
今後も東北へのご寄付と、訪問することでの復興支援を、甚だ微力ではありますが、続けられるよう努力する所存です。
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