筑波山神社とは
筑波山神社(つくばさんじんじゃ)は、茨城県つくば市筑波1番地、筑波山(つくばさん)にある神社です。
トップ写真でもご紹介している筑波山の中腹(標高270m)にある筑波山神社は「拝殿」と言う扱いで、本来の神社「本殿」は、筑波山の2つの山頂である男体山(なんたいさん)と女体山(にょたいさん)にあり、それぞれ男体山本殿と女体山本殿として鎮座しています。
よって、主祭神は、筑波男ノ神(伊弉諾尊)と筑波女ノ神(伊弉冊尊)となっています。
筑波山は、人々が関東平野に住み始めたころから長年信仰を受けた独立峰で、創建時期は不明です。
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古くは、約2000年前、崇神天皇のときに、ヤマト王権が征服したようで、筑波山を中心に筑波・新治(にいはり)・茨城の三国が設置されました。
そして、筑波命(つくばのみこと)には、物部氏の一族が派遣されて、筑波国造となっています。
一説によると、成務天皇時代に阿閉色命(アベシコノミコト)が筑波国造に任命されたとあり、麓の沼田にある筑波の八幡塚古墳の被葬者ともされます。
文献上では、奈良時代初期の常陸国風土記に登場します。
また、奈良時代の万葉集でも、筑波の歌は25首も詠まれており、坂東を代表する名所でもありました。
奈良時代から平安時代前期、最澄・空海の論敵として知られる徳一(とくいつ)と言う高僧が、延暦年間(782年~806年)に筑波山の中腹に古筑波山寺(中禅寺、大御堂)を開きました。
その後、空海が筑波山に入山して、知足院・中禅寺と号し、真言宗の寺院となりました。
関東有数の修験霊場となり、鎌倉時代に入ると、1191年、源頼朝は安西景益(安西三郎景益)、上総広常(上総介広常)、千葉常胤(千葉介常胤)、茂木義国(茂木四郎義国)などの武将と共に筑波山に参詣し、神領を寄進しています。
また、八田知家が常陸・小田城を築くと、8男が筑波為氏と称して、筑波別当(筑波城主)を世襲するようになりました。
江戸時代に入ると、江戸城の鬼門を護る神山として将軍家の祈願所となり、寺領1500石となっています。
このように、江戸幕府は筑波・中禅寺を保護し、境内には多くの堂塔が建立されました。
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神橋(しんきょう)は、安土桃山時代の様式で、寛永10年(1633年)に、徳川3代将軍・徳川家光が寄進し、元禄15年(1702年)に5代将軍・徳川綱吉が改修(修復)したものです。
下記は随神門(ずいしんもん)で、1633年に徳川家光が寄進したものですが、3度焼失しており、現在の楼門は文化8年(1811年)に再建されたものです。
そのため「筑波詣で」と言う観光名所にもなり、門前町も発達しています。
幕末の元治元年(1864年)には、水戸・天狗党が筑波で挙兵し、天狗党の乱へと発展しました。(筑波山事件)
下記は、筑波山神社の女体山本殿です。
明治維新となると、神仏分離を受けて中禅寺の伽藍は取り壊され、廃寺となっています。
この時、中禅寺の跡地に、筑波山神社が復興され、明治8年(1875年)に拝殿が完成しています。
なお、筑波山ケーブルカーに乗車するためには、筑波山神社の前を抜けていくのが一般的のため、参拝客だけでなく観光客・登山客などで賑わいます。
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筑波山神社への交通アクセス・行き方ですが、電車の場合、つくばエクスプレス(TX)の終点である「つくば駅」まで行き、1番バス乗り場の筑波山神社入口・つつじヶ丘行き「直行筑波山シャトルバス」に乗車して約40分、筑波山神社入口下車の徒歩20分で筑波山神社です。
神社に至るまで、多少の階段があります。
クルマの場合、筑波山神社入口にある大きな鳥居付近に市営の有料駐車場が点在していますが、第3駐車場が一番大きいです。
なお、大きな鳥居を入った先では、数軒ですが、土産物店などが有料駐車場としても開設しています。
筑波山神社に一番近い駐車場は、筑波山・大御堂の新しい駐車場となります。
いずれにせよ、初詣・お正月、筑波梅林の時期、ゴールデンウィーク、お盆期間中、秋の連休などには、駐車場が満車となるため、道路も渋滞するようになります。
うまく時期を外して、ぜひ、筑波山を観光なさって頂けますと幸いです。
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