座喜味城とは
座喜味城(ざきみぐすく/ざきみじょう)は、沖縄本島中部・読谷村(よみたんそん)にあり、別名を読谷山城とも言う標高120mの山城で、国の史跡、世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)にも登録されています。
また、続日本100名城に選定されました。
沖縄の古城としては、珍しく築城年代がハッキリわかっているほうでして、先今帰仁城主の血筋である読谷山按司(よみたんやまあじ)の護佐丸が今帰仁城の看守となった際に、1416年~1422年の間に築造した城(グスク)となります。
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護佐丸は、旧城の山田城を石垣を崩して運んだとされ、また奄美大島・慶良間島からも人足を雇い築城しました。
この美しいシルエットを持つ座喜味城ですので、護佐丸は築城の名手として、うたわれます。
座喜味城には武者隠しなど、実戦向きの軍事要塞になっていますが、護佐丸は日本本土とも貿易を行ったと言いますので、もしかしたら、日本本土で築城経験のある家来がいたのかな?なんて、想像してしまいます。
また、護佐丸は、合戦でも戦術的な知識が豊富だったようで、強かったようですしね。
沖縄最古とされるアーチ型城門も素晴らしいです。
石垣によるアーチ門ですので、これには当時、高度な土木技術が必要な訳です。
そして、尚巴志王の命にて1422年に護佐丸は座喜味城に移り本拠地としました。
その後、首里王府の命にて中城城に移るまで18年間、座喜味城を守備しています。
この18年間は、名将・護佐丸にとっては、唯一、平和に過ごせた時期でした。
でも、下記のシルエットも、どことなく、日本本土の技術が入っていると言う印象を受けてしまいます。
360度のパノラマ絶景の高台からは残波岬や、晴れた日には慶良間諸島も望めることから、海外貿易にも有益な地であることがわかります。
1945年、太平洋戦争の際には、日本陸軍の高射砲が城内に設置されました。
そして、沖縄戦で破壊され、戦後はアメリカ軍の通信基地となりましたが、返還後、1973年~1985年に発掘調査や破損部分の復元が行われ、現在、24時間の無料公開となっています。
より座喜味城の雰囲気が良くわかるように、動画も撮影して参りましたので、よければ、ご覧ください。
座喜味城へのアクセス・行き方ですが、那覇空港からだと車で約1時間ちょっと、那覇市内からだと高速経由で約45分となります。
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座喜味城跡の駐車場は無料で、第1と第2(大型車向け)があります。
下記の地図ポイント地点では、第1駐車場を示しておりますが、一方通行があるので、間違って逆走しないようご注意願います。
地図は縮尺を変更してご覧願います。
城の入口付近には、高倉や石臼も復元されています。
座喜味城跡の観光所要時間は、約40分が目安です。
夏は暑いので、水分補給の体制を忘れずに。
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