沖縄

中城城と護佐丸盛春とは~護佐丸・阿麻和利の乱と王女・百度踏揚【世界遺産】


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沖縄の中城城(なかぐすくじょう)標高約160mの山城で、世界遺産にも選ばれている観光地です。
関わりある人物などをご紹介しながら、中城城の雰囲気や歴史に触れてみたいと思います。

中城城の最初の築城年代は不明ですが、先中城按司(さちなかぐずく-あじ)が数世代にわたりって改修を続け、南の郭、西の郭、一の郭、二の郭といった主要部分ができたとされています。
その後、読谷の座喜味城の按司・護佐丸が1440年に移ります。


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この中城按司・護佐丸盛春(なかぐすくあじ-ごさまる-せいしゅん)は、1416年に尚巴志が北山征伐の軍を発した際に、有力按司の1人として参じており、20歳で第2軍800名の大将を任されたと言います。
そして、陸路で今帰仁城へ向かうと、北山王・攀安知と城外で交戦して勝利し、城内の本部平原を寝返らせると、今帰仁城に突入して城を落としたと言います。

その後、尚巴志は、先今帰仁城主の血縁である護佐丸を北山守護職に命じ、良港を備えた座喜味城の築城を開始させました。
また、尚巴志は護佐丸の叔母・伊波按司の娘を妃に迎えており、姻戚関係を強めています。

また、1422年に護佐丸は座喜味城へ移されています。

その後、勝連城の茂知附按司が勢力を拡大すると、尚巴志は1430年に中城の領地を護佐丸に与え、中城城の改修を命じました。

こうして、三の郭と北の郭が追加されて、中城城は現在の形となっていった訳ですが、まだ、護佐丸盛春は座喜味城を守っていたようです。
雰囲気的には、結構、山のうえと言う感じですが、トレッキングポールなどは不要です。

1440年、尚忠王が第3代琉球国王になると、護佐丸盛春は王命にて完成した中城城に移りますが、琉球統一した父・尚巴志と共に戦った盟友が護佐丸と言う事になります。

茂知附按司を滅ぼして勝連城の按司となった阿麻和利(あまわり)が実力を付けてくる中、尚忠王が1444年に死去。
その子となる第4代・尚思達王も1449年に死去。

1454年には、第5代の尚金福王も死去します。
このように王の死去が相次いだこともあり、息子の志魯と弟の布里が第一尚氏王統の王位継承権を巡って王族の内乱「志魯・布里の乱」(しろ-ふりのらん)となりました。
首里城は焼け、志魯と布里の両名も最終的には命を落とす結果となります。

そのため、王位は金丸(後の尚円王)らの推挙により、布里の弟にあたる尚泰久(しょう-たいきゅう)が継ぐことになり第6代国王となると、焼けた首里城に入って復興を始めます。
そして、尚泰久王は、長女・百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせました。

この琉球王朝の王女・百度踏揚(百十踏揚)の母である泰久王の妃は、中城城主・護佐丸の娘であるため、護佐丸からは外孫にあたる女性ですが「おもろさうし」では霊力の高い神女として描かれています。

ようするに、百度踏揚と言う名前は本名ではなく、最高神女としての神名で「永遠に気高い」という意味があるとの事です。

こうして、第6代国王の尚泰久王は、有力按司である護佐丸と阿麻和利の2人を後ろ盾に、内乱で失墜していた王権の権力復活を図りました。
しかし1458年8月、護佐丸・阿麻和利の乱が勃発します。

上記の門を入ると、中城城の本郭となり、下記がいわゆる本丸部分です。

沖縄の城の本郭は、それなりにどこも広さがあります。

ちょうど、スコール的な大雨が降ってきましたが、5分ほどで小降りになりました。

下記は中城城の拝所のひとつですが、城内に合計8箇所の拝所があります。

正殿(日本本土で言えば御殿)があった場所は、工事中でしたが、石垣も綺麗にならべてあり、仕事が丁寧です。

天気悪いですが、一応、中城城からの展望です。
天気が良ければ、素晴らしい景観も望めるかと存じます。

海岸には原子力発電所があるのかな?と思いましたが、沖縄電力の天然ガス火力発電となる「吉の浦火力発電所」だそうです。
そろそろ、話を戻させて頂きます。

護佐丸・阿麻和利の乱

護佐丸・阿麻和利に限らず、琉球の歴史は、日本本土の歴史よりも不明瞭な点も多く、解釈には諸説ありますが、一説としてご紹介してみます。
まずは、護佐丸が阿麻和利に対抗するため兵を集めていたと言います。

この動きを、阿麻和利は尚泰久王への謀反の動きありと首里城に報告したようです。
そのため、尚泰久王は阿麻和利を総大将にして討伐軍を送り、中城城を包囲させました。
城を包囲したのが王府軍と知った護佐丸は、反撃せずに忠誠のあかしとして、妻子とともに自害した模様です。

護佐丸盛春を滅ぼした阿麻和利は、そのまま首里城を攻めようと軍を反転させたようです。
このことを、妻の百度踏揚が勝連城から脱出して、首里に伝えます。
この王女・百度踏揚を勝連城から連れ出したのが、王女の従者である越来賢雄(ごえく-けんゆう)、別名を鬼大城(うにうふぐしく)と言う武勇に優れた武将で、なんでも王女を背負って一緒に逃走したと言います。
憤慨した尚泰久王は、この越来賢雄(鬼大城)を大将にして討伐軍を送り、阿麻和利は大城賢勇(鬼大城)率いる王府軍に滅ぼされたと言う話になります。
勝連城を包囲した越来賢雄(鬼大城)は、一計を案じて、自ら女装して城に忍び込むと、油断した阿麻和利を討ち取ったとありますが、弟・賢休は戦死したともあります。

なお、 護佐丸盛春の3男・護佐丸盛親は乳母に抱きかかえられて中城城を出て、乳母の生まれ故郷の糸満の国吉村へ逃れたとされます。
この乳母が、国吉地頭の国吉比屋(のち真元、査氏国吉家元祖)に事情を訴えると、 護佐丸盛親は国吉比屋にて匿われて養育を受けました。
のち、 護佐丸盛親は尚円王に登用され、豊見城間切の総地頭職になり、豊見城親方盛親を称しています。
その子孫は、大宗家(本家)の毛氏豊見城殿内を筆頭に五大姓(五大名門)の一つとなって、三司官をはじめ、首里王府の要職にあり、琉球でも屈指の名門として繁栄しました。

越来賢雄(鬼大城)は、戦功により越来間切(沖縄市越来)の総地頭職となり、越来親方賢雄と名乗りました。
更には、祖父を夫に討たれ、夫を父に討たれた王女・百度踏揚を妻に迎えたとあります。

1461年、第6代琉球国王の尚泰久王が1460年に亡くなると、1461年に長兄・金橋王子を退けて、3男の尚徳(母は宮里阿護母志良礼)が王位を継承し、第一尚氏王統の第7代国王となります。

1469年、尚徳王が29歳で死去すると、金丸(後の尚円王)らのクーデターにより世子や一族の多くが殺害されました。
この第二尚氏王統の初代国王・尚円王(しょうえんおう)によって、越来賢雄(鬼大城)も攻め滅ぼされます。
知花城にて越来賢雄(鬼大城)は自刃したとも言われています。

再婚相手も失った百度踏揚(百十踏揚)は、弟の三津葉多武喜(みつばたぶき)と共に玉城(たまぐすく)にあった大川グスクにて余生を送りますが、若いうちに生涯を閉じたとされます。
下記写真となる墓所は南城市(旧玉城村)にあります。

すぐ横には、弟・三津葉多武喜の墓もありました。

詳しい場所はページ最後に解説します。

このように、琉球王朝の仕官であった金丸(かなまる)が、王朝を乗っ取っていることから、先の護佐丸・阿麻和利の乱や、尚徳王の早い死も、伊是名島の農家の出で這い上がってきた金丸(尚円王)の策略とみることができます。
もしそうだとしたら、農民から天下を取った豊臣秀吉のような印象を受けますね。
頭脳明晰な人物だったのでしょう。

越来賢雄(鬼大城)の子孫は、摩文仁間切(糸満市摩文仁地区)総地頭である夏氏摩文仁殿内として存続しました。
鬼大城が阿麻和利を斬ったとされる刀も残されていましたが、沖縄戦で行方不明になっています。

沖縄戦乱時代の権力争いも、ほんと興味深く面白いですね。
なお、これらの物語は「肝高の阿麻和利」(きむたかのあまわり)と言うタイトルにて、舞台として沖縄や海外で公演されています。

護佐丸の墓

護佐丸の墓は、中城城の中ではなく、中城城からほど近い場所にあります。

護佐丸は唐名を毛国鼎(もうこくてい)と言うため、墓の前の碑には、毛国鼎と刻まれています。

1686年に、子孫・毛氏豊見城家の8代目盛定が、琉球王府から拝領した土地に建てたもので、沖縄最古の亀甲墓として価値も高いそうです。

ハブが出てきそうな階段を登ったところですが、無事に参拝できました。
ただし、個人の敷地内ですので、失礼のないように訪問したいところです。

沖縄県は5回目と言えどもさすがに羽田空港から那覇空港に降り立つ機会は乏しく、沖縄の歴史までは詳しくはないので、もし、間違っていましたら、コメント欄よりこっそり教えて頂けますと幸いです。

戦火を免れているため、琉球石灰岩を使った中城城の城壁は、沖縄では唯一ほぼ完全に近い形で残されている貴重なものとなります。
そのため、見ごたえもあり、写真も数が多くなってしまいました。
観光所要時間は40分~90分といったところです。
今度は天気が良い時に訪れてみたいですが、夏場は虫除け・日焼け止め・熱中症対策など必要だと存じます。
今度、12月頃に来ようかな?

さて、世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)と国指定史跡、日本100名城に指定されている琉球・中城城への行き方・アクセスや、近くにある護佐丸の墓の場所などは、当方のオリジナル「琉球・沖縄の史跡マップ」をご覧いただけますと幸いです。
Googleマップをスマホで使えば、カーナビ地図としてご活用頂けます。

沖縄の史跡巡り観光オリジナルGoogleマップ(便利な地図)

中城城の駐車場、通りから見える大きな無料駐車場があります。
しかし、入場料金を支払う小屋がある下付近にも、更地の無料駐車場があり、そこには、地元のタクシー観光などのクルマが止まっていますので、足の悪い方などは、近くの駐車場の方が良いでしょう。

城域の見学は有料拝観で、朝8時30分から入れます。
イオンカードを窓口で見せると、割引料金になります。

百度踏揚の墓がある場所

百度踏揚の墓は、南城市陸上競技場トラックの東側にある崖にあり、中城城からはクルマで1時間30分くらいと、遠いところです。
行くまではわかりにくいですが、行けばわかると言う史跡です。
陸上競技場の無料駐車場を利用させて頂きましたが、競技場の北側の奥のほうにある駐車場まで行くと、一番近いですので、そんなに歩きません。
下記写真のところから階段を少しだけ上がったところにあります。

駐車場の場所は当方のオリジナルGogoleマップでも詳しくわかるようにしてあります。

この付近には糸数城や玉城城もありますので、時間があれば訪れてみるのも良いかも知れません。

首里城とは~尚思紹王と尚巴志王【沖縄の世界遺産】守礼門 グスクとは?
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髙田

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