創建はかなり古く、出雲國風土記(733年)では熊野大社、延喜式神名帳(927年)では熊野坐神社と見えます。
紀伊半島の南に、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社といった熊野三山が有名ですが、社伝によると、出雲・熊野村の住人が、紀伊国に移住した際に、分霊を勧請して、紀伊の熊野本宮大社になったとしています。
申しあげなくても、お分かりの通り、熊野の「熊」は、クマさんの事ですので、かなり古い時代から「クマノ神」の信仰があったものと推測されます。
古事記と日本書紀において、須佐之男命が、天照大御神の持ち物である八尺勾玉を、譲り受けて化生させた五柱の神様のひとりに、熊野久須毘命(クマノクスビ)がいます。
熊野大社の祭神は現在「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」(いざなぎのひまなご-かぶろぎくまののおおかみ-くしみけぬのみこと)と長いお名前のひとりの神様です。
意味としては、「イザナギのかわいい子供で、オオクニヌシノカミを始め神々の親なる神、そして人々の衣食住に広く、尊い御神威をみちびかれて日ごとに蘇生(よみがえり)の縁を結ばれるムスビノ大神」となり、すなわち、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別神名としています。
しかし、もともとは熊野久須毘命であった可能性も捨てきれません。
出雲国造は、最初から出雲大社の宮司を務めた訳ではなく、最初の頃は、この出雲国一の宮である出雲・熊野大社を祭祀を担当していました。
そのため、今でも、特に出雲大社宮司の襲職は、出雲・熊野神社にて、燧臼燧杵の神器を、受け取る事から始まっているとの事です。
また、出雲・熊野大社は、火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれており、毎年10月には、火をおこす神事「鑽火祭」(さんかさい)が行なわれます。
これは、出雲大社の「古伝新嘗祭」で用いる火をおこすための神事で「ひきりうす」と「ひきりぎね」を、出雲国造が、みずから受け取りに来るものだそうです。
この神事は、出雲国造の祖先神・アメノホヒの時代から始まっているとされている伝統行事です。
平安時代に神主だった熊野氏は、武装化して、出雲・熊野城も築城した模様です。
ご利益としては、縁結び、良縁成就、夫婦円満、子授・安産、除災招福、諸願成就などがあります。
お守り・御朱印などは、8時30分~16時30分です。
摂社として伊邪那美神社もありました。
出雲・熊野大社の見学所要時間は、20分~30分程度です。
出雲・熊野大社ーの交通アクセス・行き方ですが、バスの場合、JR松江駅の4番乗り場から、一畑バスの八雲車庫行きに乗車して所要30分「八雲ターミナル」にて乗換して「熊野行」の市営バスに乗車し「熊野大社前バス停」にて下車です。
駐車場は、約100台の無料駐車場が完備されています。
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