東京・上野にある上野公園の山王台には、幕末の英雄「西郷隆盛」(さいごう-たかもり)の銅像があります。
この上野の西郷どんは、主に市民の寄付金により明治31年(1898年)12月18日に除幕式を迎えてお披露目されたもので、既に約120年以上ここに鎮座しています。
なお、西南戦争で明治政府に反した西郷隆盛は、いわば「逆賊」扱いされていました。
しかし、西郷隆盛が没した11年後となる明治22年(1889年)に、大赦となって西郷隆盛の汚名が解除されたのをキッカケに、西郷隆盛の銅像を建てようと気運が高まったのです。
明治天皇も西郷隆盛の死には嘆いていましたので、宮内庁から500円が下賜された他、約2万5000人からの有志の寄付が集まったと言う、寄付金による建てられた銅像となっており「上野の西郷どん」と呼ばれて日本国民に親しまれています。
なお、除幕式には、西郷隆盛の3番目の妻である西郷糸子も同席しました。
その時の逸話として「うちの主人はこんなお人じゃなかった」「浴衣姿で散歩なんてしなかった」と発言したようです。
このこんな人では無かったと言うのは、顔が違うと言う意味ではなく、人前では常に正装であり、普段着で出るような人ではなかったととらえられています。
なお、関東大震災でも西郷どんは倒れなかった西郷銅像でしたが、太平洋戦争の際には金属供出の必要性に迫られます。
例えば仙台城(青葉城)の伊達政宗像や、渋谷駅にあった忠犬ハチ公の銅像などは供出されています。
しかし、西郷隆盛の銅像は残されました。
まさに、日本国民の心の支えでもあったのだろうと存じます。
なお、念のために記載しておきますが、鹿児島にも色々と西郷隆盛の銅像がありますので、上野だけにある訳ではありません。
しかし、久しぶりに上野恩賜公園にある西郷どんを訪れると、遠くには東京スカイツリーも見えるなど周辺の街並みも大きく変わる中、西郷隆盛はここで100年以上、日本の行く末を見守ってくれていたのだと感じました。
それにしても、西郷隆盛は、今の日本のあり様を、どのように思っているのでしょう?
西郷隆盛の感想を聞きたくなった上野・西郷隆盛銅像の訪問となりました。
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さて、上野公園の西郷隆盛銅像への行き方・アクセスですが、下記の地図ポイント地点に西郷隆盛の銅像があります。
最寄り駅は、京成電鉄の京成上野駅、JR東日本の上野駅となりますが、地下鉄の上野駅からでも問題なく行けます。
なお、地下鉄の場合には京成上野駅方面の「6番出口」が一番近いです。
西郷隆盛の銅像がある広場「山王台」は、幕末に西郷隆盛らの新政府軍が江戸城を無血開城させたあと、旧幕府軍が上野に立て籠もり、慶応4年(1868年)5月15日に上野戦争となった舞台であります。
この山王台は、上野戦争の際に彰義隊が反撃を開始した場所でしたが、大村益次郎が率いる新政府軍のアームストロング砲による砲撃で壊滅します。
上野で戦死した彰義隊の隊士は226名で、明治14年に建てられたのが下記の「彰義隊の墓」(戦死之墓)となります。
墓碑の文字は山岡鉄舟による筆です。
他にもこの山王台付近には、上野寛永寺の清水観音堂もあります。
時間が許せば、不忍池(しのばすのいけ)などの観光スポットもありますし、春には桜の花見でも有名な上野公園ですので、東京国立博物館など見どころも満載です。
アメ横も楽しいですし、おしゃれなレストランなども上野には多いです。
休日、今日は何しよう?なんて悩んだ時には、ぶらっと上野を散策なさってみてはいかがでしょうか?
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