旅行計画

西郷隆盛ゆかりの地を巡る方法と見どころ45選~鹿児島と熊本・宮崎や奄美大島編


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2018年のNHK大河ドラマ西郷どん」でも大注目である幕末の英雄「西郷隆盛」。
そんな西郷隆盛が生まれ育ち、そして命を全うした薩摩・鹿児島には、たくさんの西郷隆盛(西郷小吉・西郷吉之助)にまつわる史跡があり、観光スポットとなっています。

このページでは、西郷隆盛、そして同じ時代を懸命に生きた志士らの史跡を一挙公開させて頂こうと存じます。
鹿児島観光の際に、お役立て頂けますと幸いです。

まずは、西郷隆盛が「生きた」順番に鹿児島の史跡をご紹介し、他の鹿児島の見どころだけでなく奄美大島や熊本・宮崎の史跡も踏まえて、最後の方ではスムーズに観光するコツや駐車場・アクセス情報などを明記したいと存じます。
東京編は別途あります。

西郷隆盛誕生地碑

西郷吉之助は、鹿児島城(鶴丸城)下の下級武士が住む加治屋町にて生まれました。
西郷隆盛の妹・西郷琴などの兄弟もここで生まれました。
弟・西郷従道も生まれた地であるため、西郷従道誕生地にもなっています。

この周辺は、幕末に活躍した薩摩出身の志士に関する史跡が集中しています。

約1時間ほどの散策で大部分周れますので、是非お勧めなところです。
下記は西郷従道邸庭園跡庭石です。伊豆石、伊予の石、紀州の青石が使われています。

この西郷隆盛の誕生地は、現在「公園」になっています。
九州新幹線の鹿児島中央駅から歩いても、約800m、徒歩10分くらいの距離です。

維新ふるさと館からも近く、近所の見どころは下記の通りです。

伊地知正治誕生地

維新ふるさと館の北側にある「鹿児島ホテル短期大学校」の前にあります。
伊地知正治は幼い頃の病気で目と脚が不自由でしたが、優秀な人材で藩校・造士館の教授にもなりました。
島津久光が上京する際には軍師として軍奉行を務め、薩英戦争、禁門の変鳥羽伏見の戦いなどでも藩兵を指揮し、土佐藩参謀・板垣退助と共に会津若松城を落城させています。

大久保利通生い立ちの碑

維新ふるさと館の北側になる川沿いの公園にあります。
大久保利通は、川向こうの高麗町にて生まれ、幼少の頃にココに引っ越してきたため「生い立ち」の場所と表現されています。

すぐ近所だった西郷隆盛は、2歳年上である大久保利通の話を聞きに、良くやってきたと言います。

大久保利通の銅像

大久保利通と西郷隆盛は共に島津久光らに認められ、倒幕へと奔走しますが、明治10年には西南戦争で敵味方と分かれました。
そして、大久保利通は、西郷の死から1年後、東京で朝に赤坂の仮御所へ向かう途中、襲撃を受け命を落としています。

上記銅像の場所はページ最後に改めてご案内致します。
東京の襲撃地点(赤坂)近くには、大久保公哀悼碑があります。

東郷平八郎誕生地

東郷平八郎は、日本海軍を率いて、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破した名将です。
西郷隆盛らと同じ加治屋町にて生まれ、西郷吉二郎から手習いを受けたと言います。
昭和9年に逝去した際には国葬となりました。

大山巌生誕地

のち日清戦争・日露戦争を勝利に導く大山巌は、西郷隆盛の従弟として同じ加治屋町で生まれ育ちました。

西郷隆盛より15歳も年下だった大山巌は精忠組にも加わりましたが、西南戦争の時には警視庁にいたため、西郷隆盛を攻撃する側にいました。
大正10年に逝去した際には国葬となっています。

東京にも大山巌の銅像があります。

村田新八誕生地

西郷隆盛より9歳年下の村田新八は、幼いころから西郷隆盛を「兄」として慕っていました。
明治4年には岩倉使節団に加わり海外視察していましたが、明治7年帰国してみると、征韓論に敗れた西郷隆盛が鹿児島に帰郷していました。
そのため、村田新八は大久保利通の制止も聞かず、政府の要職を捨てて鹿児島に戻り、私学校で子弟の教育にあたりました。
西南戦争では薩軍の二番大隊長として奮戦しましたが、西郷隆盛の自刃を見届けてから自害しています。

井上良馨誕生地

井上良馨(いのうえ-よしか)は、19歳のとき薩英戦争にて初陣を果たし、沖小島砲台にて重傷を負います。
しかし、イギリス艦隊の強さに魅了され、以後、海軍畑を歩みました。
日清戦争・日露戦争のときには佐世保・横須賀・呉などの鎮守府司令長官を歴任し、明治44年には元帥となっています。

大久保利通誕生地

井上良馨誕生地のすぐ右側が大久保利通の生まれた場所です。

以上、西郷隆盛誕生地碑がある「維新ふるさと館」周辺の観光所要時間は約60分といったところです。
駐車場は、維新ふるさと館の有料駐車場を利用するか、周辺にあるコインパーキング利用となります。
駐車場の場所は、このページ最後にご紹介するGoogleマップに表示させて頂いております。



座禅石

座禅石は、西郷隆盛・大久保利通らが若かりし頃、座禅を組んで修業した場所です。

もともとは、夏蔭城趾の麓にあったそうですが、城山団地造成により現在地に移転したとの事です。
西郷隆盛は夜を徹し修行したとも言われ、生涯ぶれない言動の基礎は、この厳しい修行から生まれたのでしょう。
現在は、小さいながらも座禅石公園として整備されています。

座禅石公園は住宅街の中にあり、近くに駐車場はありません。

鹿児島城(鶴丸城)

薩摩藩に意見書を提出した西郷隆盛は、やがて島津斉彬に認められます。
下記は島津家の居城である鹿児島城です。
鹿児島では「鶴丸城」と言うのが普通になっています。

鶴丸城(鹿児島城)周辺の観光マップ

鶴丸城は初代藩主・島津忠恒が築いた城です。

島津忠恒と鹿児島城(鶴丸城)~初代薩摩藩主・島津忠恒のその生涯は?

篤姫の像

鹿児島城の本丸にあります。東側の方です。

天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ) 薩摩・島津家から徳川将軍の御代に

西郷隆盛蘇生の家

安政の大獄で、京にいた勤王の僧・月照も危うくなり、近衛家から保護を頼まれた西郷隆盛は、鹿児島に連れて帰ります。
しかし、幕府を怖れた薩摩藩の重役たちは、西郷隆盛に月照を日向へと送るよう命じます。
これはすなわち「死」を意味しており、島津斉彬の亡きあと、悲観していた2人は、三船沖にさしかかったときに、船先から海に飛び込みます。
助けられた近くの花倉の浜に行き、漁師の家にかつぎ込まれのが下記の西郷隆盛蘇生の家です。

西郷隆盛は息を吹き返しましたが、月照はすでに亡くなっていました。

石碑なども残されています。

西郷隆盛蘇生の家の場所ですが、下記の地図ポイント地点となります。

残念ながら駐車場はありません。

月照とは~尊皇攘夷派の僧侶である月照はなぜ錦江湾で入水自殺したのか?

西郷松と西郷翁上陸之地(奄美大島)

その後、西郷隆盛は「奄美大島」へと移っています。

下記は西郷隆盛が上陸した地点にある西郷松跡です。

約2年8ヶ月を奄美大島で過ごし、その間に、島妻・愛加那を迎えたのです。

西郷南洲謫居跡(奄美大島)

下記は西郷隆盛が奄美大島を離れる際に、島に残らなくてはならない愛加那と生まれて来るであろう子供のために、新築したのがこの西郷南洲謫居跡となります。

以上の奄美大島に残る、西郷隆盛の史跡は、下記のページにて詳しく明記させて頂いておりますので、よければ、合わせてご覧頂けますと幸いです。

奄美大島にある西郷隆盛の史跡~西郷松と西郷南洲謫居跡への行き方

南洲翁謫居の地(沖永良部島)

有馬新七らが命を落とした寺田屋騒動のあと、島津久光は西郷隆盛ら過激派を捕縛して、大島吉之助に改名さ徳之島への遠島処分とします。
奄美を経て徳之島に渡ると、愛加那とも一時の再会を果たしますが、2ヶ月あまりで更に遠い沖永良部島へ遠島になりました。

この遠島処分は、処罰でしたので、鹿児島の西郷家も謹慎のため知行・家財は没収されており厳しい生活になっています。
沖永良部島での西郷隆盛も、下記のような牢屋での生活となり不自由に約1年6ヶ月を過ごしました。
ただし、土持政照と言う島の役人に助けてもらい、義兄弟の契りを結んでいます。

西郷隆盛は鹿児島から1200冊あまりの書物を取り寄せては学んでいたようで、川口雪篷とも親しくし、この牢屋生活の中で「敬天愛人」の思想を完成させたとされます。
現在の沖永良部島では南洲翁史跡として見学が可能になっています。

川口雪篷とは~豪放磊落の酒豪で西郷隆盛も心を許した書家

西郷屋敷跡(武町)

西郷隆盛が鹿児島に戻ってこの土地を購入。
西南戦争を始める前の4年間を過ごした西郷屋敷跡は、現在、西郷公園として整備されています。

しかし、西南戦争で焼けてしまい、のち西郷の弟・西郷従道が建て直したと言います。

西郷武家屋敷跡の正確な場所は、下記のページにてご紹介させて頂いています。

西郷糸子とは~西郷隆盛3番目の妻の生涯~武町屋敷跡と南洲野屋敷跡

私学校跡

1874年(明治7年)6月、下野した西郷隆盛は旧鹿児島城(鶴丸城)内に、陸軍士官養成のための「幼年学校」「銃隊学校」「砲隊学校」の三校を設立しました。
西郷隆盛が二千石、鹿児島県令・大山綱良が八百石、桐野利秋が二百石、参議・大久保利通も千八百石を拠出しています。

西郷が設立した真の目的は、不平士族の暴発を防ぐ事にあったともされるため、入学できるのは士族で、しかも元城下士出身者に限られていました。
1877年(明治10年)1月29日、大久保利通、川路利良らが西郷暗殺を企てたとして、激高した生徒は鹿児島の鎮台の弾薬庫襲撃をします。

駄馬落跡

駄馬落跡は、私学校の生徒と開墾している畑作業の帰りに、西郷隆盛が馬を崖下に転落させてしまった場所となります。

駄馬落の跡の近くには、桐野利秋(中村半次郎)の誕生地と、別府晋介の誕生地もあるので、セットで訪れたいところです。

ここを含めて、地図紹介を省いている項目は、ページ下部のオリジナルGoogleマップにてご確認願えますと幸いです。

龍宝家の屋敷(西郷どんの宿)

西郷どんの宿は、西郷隆盛が日当山温泉に赴いた際に、常宿とした龍宝家の屋敷となります。

西郷どんの宿は無料で見学が可能です。

なお、建物西側に無料駐車場(5台ほど)がありますが、その駐車場から一段下がったところが、西郷どんの宿となります。
駐車場の場所は、ページ下部のオリジナルGoogleマップにてご確認願えますと幸いです。



龍門司坂

龍門司坂(たつもんじざか)は、旧大口筋の一部で、木田の高井田から毛上に通ずる石畳の坂道となっています。

この龍門司坂の石畳は、江戸時代の1635年に着工開始し、全長1.5kmの完成はその100年後とも言われています。
現在は464メートルが当時の姿で残っています。
明治10年(1877年)の西南の役の際、西郷隆盛が率いる薩軍も、雪の中この坂道を通って熊本へと向かいました。

文化庁の「歴史の道百選」、国指定史跡にも選定されています。
また、大河ドラマ「篤姫」や「龍馬伝」などのロケ地としても知られています。
もちろん、2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」でのロケ地になっています。

龍門滝のみどころ観光情報~龍門司坂や金山橋も含めた完全攻略法

駐車場の場所は、ページ下部のオリジナルGoogleマップにてご確認願えますと幸いです。

川尻薩軍本営跡(熊本)

鹿児島を出発した薩軍は2月20日に先鋒隊が熊本に入ります。
そして、翌21日に西郷隆盛も到着し、この今村家の屋敷を本営と定めて「新政大総督・征伐大元帥西郷吉乃介」の表札を掲げました。

西郷隆盛はここに宿泊し、熊本城を攻撃するための作戦ここで練ったと言う事になります。
また、当時の川尻には薩軍1万5千人余りに及ぶ兵にて、埋め尽くされたと伝わります。
そして、2月22日から熊本城への総攻撃が始まりました。
この今村家住宅、(いまむらけじゅうたく)は、江戸末期の2階建て建物で、間口は6間の町屋になっています。
今村家は屋号を「塩飽屋」(しわくや)と言い、町役人も務めた家柄でした。
場所は、このページ本文最後のオリジナルGoogleマップの「熊本」の欄にてご確認願います。

熊本城

熊本城では官軍4000が籠城しました。

熊本・西南の役の碑も熊本城にありました。

下記は西南戦争時の籠城家族避難所跡となります。

なお、戦火で天守は焼けますが、放火したとも言われています。

熊本城の東にある高橋公園には、西南戦争の熊本鎮台(くまもとちんだい)司令長官だった谷干城(たにたてき)の銅像もあります。

熊本城の詳細に関しては下記のページにてご覧頂けますと幸いです。

熊本城の歴史と見どころ~肥後国人一揆と城親基とは(熊本地震の被害も)
当方オリジナルGogoleマップ (熊本や人吉を含む)

北岡神社(熊本)

JR熊本駅より北側にある北岡神社は、加藤清正が再興し、その後、細川忠興など細川家からも庇護を受けた由緒ある神社です。

熊本城を見下ろすことができる高台であるため、薩軍の本営が北岡神社神官宅に置かれました。

この北岡神社も2016年の熊本地震で被害を受けています。

熊本城を攻撃開始してまもなく、政府軍が熊本に接近しているとの報を受けて、田原坂方面に薩軍の主力を展開させます。

田原坂の戦い

熊本に進軍する政府軍と、それを防ぎたい薩軍が激しく戦ったのが田原坂の戦いです。

田原坂の戦いに関しては下記にまとめましたので、よろしければご覧頂けますと幸いです。

田原坂の戦いと吉次峠の戦い~西南戦争最大の激戦地と見どころ

二本木神社(熊本)

北岡神社や春方(紺屋松島善七方)などに本営を構えていた薩軍でしたが、熊本城に政府軍の援軍が入ると後退を余儀なくされます。
3月13日の段山の戦いにて、熊本城の政府軍が段山を奪回し、砲撃が北岡神社の本営にまで及んだため、薩軍はこの二本木神社に本陣を後退させました。

実際には、二本木神社の横にあった質屋・築地悌四朗の屋敷が薩軍本営になったようです。
西郷どんは熊本の井戸水を飲む度に「美味しい」と感激したと云われています。
なお、熊本にあった遊郭が西南戦争で全焼したため、その後、ここ二本木に再建され、西日本有数の遊郭街として栄えます。
二本木遊郭が舞台の書籍や映画も多数あることで知られています。
なお、2016年の熊本地震で鳥居などは倒壊しています。
場所は、このページ本文最後のオリジナルGoogleマップにてご確認願います。

木山本営跡(益城町)

その後、薩軍は木山城付近(益城町)にて体制を立て直します。
下記は木山本営跡です。

4月に熊本から撤退し、追撃する政府軍からの防衛網を急いで築いて、野戦(城東の戦い・城東合戦)となりますが、薩軍はさすがに敗れて、人吉へと退却を開始します。

木山は、熊本の益城町の中心部で、2016年の熊本地震で大きな被害を受けたところです。

益城・木山神社

木山に退却した際に、熊本隊が木山神社で祈願祭を行ったと言われています。

政府軍に協力した住民には、日当などが支払われたようですが、薩軍通過時に、脅されたとしてもやむを得ず協力した住民は却下されたともあります。

木山神社も石の鳥居が倒壊し、まだ再建されていませんでした。

菊池の戦い(熊本)

薩軍と政府軍は、あちこちで戦っています。
そのひとつとして熊本県菊池市隈府であったのが菊池の戦いで、3月24日~4月10日頃まで私学校・貴島隊・熊本協同隊・飫肥隊が官軍を迎え撃ち、激戦となりました。
官軍の戦死者は38名、薩軍は約300名と伝わります。

場所は、このページ本文最後のオリジナルGoogleマップにてご確認願います。



人吉・永国寺

幽霊の掛け軸が現存している「ゆうれい寺」として知られますが、西南戦争の際には西郷隆盛が本陣として使用しました。

下記は境内にある人吉二番隊士の碑です。

境内には他にも千人塚(耳塚)、西郷隆盛先生之遺跡の碑もあるそうですが、失念しました。

西郷隆盛ら薩軍は人吉・永国寺を本陣としていましたが、政府軍との決戦を前に薩軍は永国寺にて隊列を整えて出発し、青井阿蘇神社に入って人吉隊合流し戦勝祈願と閲兵式を行ったと言います。

武家蔵(武家屋敷)

人吉の永国寺を本営とした際に、西郷隆盛が宿舎としたのが、下記の武家屋敷となります。

青井阿蘇神社

人吉での決戦を前に、薩軍が戦勝祈願した神社となります。

現在、青井阿蘇神社は国宝に指定されており、建造物としては、日本最南端の国宝となります。

人吉で西郷隆盛や800年人吉で続いた相良氏に触れる人吉の見どころ

人吉城の戦い

熊本城を奪えず、撤退開始した薩軍は、人吉城に入ると、下記の三の丸に大砲を配備して官軍に備えています。

5月15日に桐野利秋は村田新八に人吉城を任せて、今後の作戦の為に宮崎へと向かいました。
そのため、薩軍の人吉防衛は、死守撃退から単なる時間稼ぎへと実質的に変わっています。
人吉に迫った官軍は、5月30日に人吉城への総攻撃を開始します。
人吉城は、相良氏が鎌倉時代に入ってから670年間、よそ者から攻撃を一切受けたことが無い城でしたが、皮肉にも武士政権・江戸幕府が崩壊したあとになって、戦火に包まれることとなったのです。
鵬翼隊大隊長・淵辺高照が戦死するなどし、西郷隆盛も密かに宮崎へ移動します。
6月1日、官軍の砲撃により、薩軍の人吉城の大砲も壊滅。
村田新八が指揮する薩軍2000名は応戦しきれず、6月4日には地元の人吉隊が投降して薩軍は崩壊し、人吉城の建物もすべて焼失しました。
人吉城の観光に関しては下記をご参照賜りますと幸いです。

人吉城について

以上、人吉の史跡がある場所に関してもオリジナルGoogleマップの方にて示させて頂いております。

門川の薩軍本陣跡

政府軍に追いやられた薩軍は宮崎方面へと追い立てられ、随所に陣を敷いては敗れるの繰り返しとなっていきます。
下記は門川の薩軍本陣跡です。

和田峠超えの戦い

そして、薩軍は宮崎県の延岡に集結しました。
こうして、薩軍としては最後の決戦となる「和田越えの戦い」になりました。

敗れた西郷隆盛は、下記の児玉熊治邸にて、薩軍を解散する決意をします。

児玉熊治邸

宮崎の延岡からほど近い、北川町の熊田に児玉熊治邸があり、西郷隆盛らは宿営しました。

ここで、西郷隆盛は陸軍大将の軍服を焼いて、西郷菊次郎を逃し、また愛犬2匹を放し、高千穂方面へと逃れて行きました。

西南の役・最後の激戦地である延岡「和田越えの戦い」と薩軍解散の地

涙橋血戦の碑

鹿児島の史跡に戻りますが「涙橋」の由来としては、谷山二軒茶屋付近にあったとされる薩摩藩の処刑場に向かう罪人と家族が、この新川にかかる橋で最後の別れをしたため「涙橋」と呼ばれるようになったそうです。
そして、熊本で敗れた鹿児島に戻った来た薩軍の一部が、既に鹿児島を占拠していた官軍と、明治10年6月24日に戦いました。
薩軍は涙橋から近い高地に入ったところを、官軍が攻撃して来たようです。
このとき、枕崎出身の今給黎久清ら213名の兵士が、武之橋方面と脇田の2方面から迫る官軍と応戦しました。
約6時間にも及ぶ激戦となったようですが、平田新左衛門ら90名が戦死、柴原方面へ敗走したと伝わります。

その命を落とした90名の薩軍兵士を供養するため、昭和2年(1927年)に建立されたのが、涙橋血戦の碑となります。

涙橋血戦の碑がある場所も駐車場があります。
正確に申し上げますと、駐車場に石碑があるのですが、その駐車場は月極駐車場なので、止めれません。
最後にご案内しているオリジナルGoogleマップにて示している地図に明記した近隣のコインパーキング利用でお願い申し上げます。

城山の西南戦争薩軍本営跡

鹿児島に戻った西郷隆盛らの薩軍ですが、すでに鹿児島は官軍が占拠していたため、戦って城山を奪還しました。
城山展望台の近くにある「ドン広場」と呼ばれる場所の奥に、西南戦争薩軍本営跡の石碑があります。

詳しくは城山展望台紹介ページもご参照賜りますと幸いです。

城山~鹿児島の桜島を望む有名観光スポット(夜景も日出もキレイだよ)

南洲野屋敷跡

南洲野屋敷跡は西南戦争の際に、西郷糸子ら西郷家11名が避難した場所となります。

元々は、若い頃の西郷隆盛がここを農地として、畑を耕しており、作業小屋もあったとの事です。

南洲野屋敷跡は鹿児島市内からはちょっと離れた山の上にあります。
行き方などは、下記をご参照願います。

西郷糸子とは~西郷隆盛3番目の妻の生涯~武町屋敷跡と南洲野屋敷跡

西郷洞窟

西郷洞窟も観光客が訪れる城山のスポットです。
西郷隆盛が亡くなる前の5日間を過ごした場所となります。

近くにはお土産物店と公共駐車場のところに日帰り温泉もあります。

下記の地図ポイント地点が無料駐車場(8台ほど)の場所です。

西郷洞窟の道路の反対側が公共の無料駐車場となっています。
ただし、カーブも多い坂の途中ですので、道路の横断にはお気を付け願います。

夏蔭城

西南戦争の際に、薩軍が籠る城山(上山城)の弱点となる北方を守る砦・塁が夏蔭城でした。

最後の総攻撃を受けた際に、この夏蔭城が陥落したことで、城山や西郷洞窟にいた薩軍は、突撃を決意したようです。
夏蔭城については下記をご参照願います。

夏蔭城とは~西南戦争で激戦となった城山防衛の最後の砦

西郷隆盛終焉之地

上記の西郷洞窟から坂を東へと600m下ったところが、西郷隆盛が自決した場所となります。

「晋どん、もうよや」と別府晋介の介錯を受けたところですね。
西郷隆盛終焉之地と言う広場になっておりました。
脇の細い道を入って行くと温泉銭湯があります。

下記の地図ポイント地点となりますが、駐車場はありません。

駐車場に関しては、このページの最後にご紹介しているオリジナルGoogleマップにて、コイン駐車場などを示させて頂いておりますので、ご参考にいただけますと幸いです。

西南戦争の銃弾跡

鹿児島医療センターの南側石垣に、西南戦争の銃弾跡があります。

下記の地図ポイント地点となります。

鹿児島城を見学する際に、セットで訪問しておくと良いです。

照國神社

鹿児島の西側にあるのが照國神社で、祭神は島津斉彬公です。

と言う事で、島津斉彬の銅像も境内にあります。

島津久光の銅像もあります。

他にも、島津忠義の銅像も境内にあります。
照國神社の右脇には有料駐車場(戊辰駐車場)がありますし、鹿児島城からも歩いて行ける範囲です。
なお、背後の山が「城山」になっています。
そのため、バスで城山に行って展望台を見たあと、階段にてこの照國神社脇へと降りてきても良い周り方になるかと存じます。

西郷隆盛の銅像

鹿児島で有名な銅像となる「西郷隆盛の銅像」です。

この付近は観光の中心地のようになっていて、鹿児島まち歩き観光ステーションもあります。
鹿児島城と照國神社の間にありますので、その行き来の際にセットで見学すると良いです。

なお、その西郷隆盛の銅像から南へ120m行ったところには下記の小松帯刀の銅像があります。
各観光地の地図は、このページ下部のオリジナルGoogleマップにてご確認願えますと幸いです。

小松帯刀の銅像

西郷隆盛の銅像近くにある小松帯刀の銅像です。

あと、場所はちょっと離れていますが、小松帯刀邸跡もついでにご紹介します。

小松帯刀邸跡

小松帯刀邸跡は城下の外れのほうにあります。

道も狭い住宅地の中で、荘重な石垣だけが残っています。
場所はページ下部のオリジナルGoogleマップにてご確認願います。

小松帯刀邸跡の近くには、温泉銭湯「ははら温泉」もありますので、時間が許せば入浴して汗を流すのも良いです。

はらら温泉~鹿児島の源泉掛け流し温泉格安銭湯



南洲神社と南州墓地

西郷隆盛の遺体は、ここ南州墓地のあたりに移送されて、新政府軍により検死が行われました。
その後、仮埋葬されていたのを明治になって、各地から薩軍の遺骨を集めて墓地として整備されました。
西郷隆盛の墓をはじめ、西南戦争で命を落とした志士が約2000名ほど葬られています。

西郷隆盛に関する資料を集めた「西郷南洲顕彰館」もありますので、ここも欠かせない観光スポットです。

南洲神社と南州墓地~西郷隆盛の墓など幕末の志士が眠る墓所【鹿児島観光】

島津家墓所がある福昌寺跡

福昌寺と言う寺は廃寺となり跡地は玉龍高校となっていますが、歴代の島津家墓所が残っています。

管理はしっかりされており、島津久光の墓、島津斉彬の墓などがあり、昼間、見学が可能です。

島津斉彬の墓には、沖永良部島から戻るも、足を悪くしていた西郷隆盛は、這いずって墓参したと伝わります。

そんな島津家墓所ですが、残念ながら駐車場がありません。
下記の地図ポイント地点が島津家墓所の入口となります。

祇園之洲砲台跡

イギリス艦を砲撃した砲台となる祇園之洲砲台跡。

逆光になってしまいましたが、石碑類もあります。

石橋記念公園

祇園之洲砲台跡は石橋記念公園の一角にあります。
この石橋記念公園は、鹿児島市の中心を流れる甲突川に江戸時代後期に掛けられた「石橋」を移築した公園となります。
下記は高麗橋です。
2018年大河ドラマ「西郷どん」でのロケ地にもなりました。

仙巌園(磯の御殿)

2018年の大河ドラマ「西郷どん」では、第1話で、幼い西郷小吉らが忍び込んだのが、この磯の御殿と言う島津家の別邸です。
もちろん、ロケ地ですね。
西郷隆盛を起用した島津斉彬の集成館などがあった場所で、名勝「仙巌園」は世界遺産にも登録されることが決定しています。

仙巌園と集成館に関しては下記の別ページにてご確認賜りますと幸いです。

仙巌園(磯庭園)のみどころ ~世界遺産にも選ばれた仙巌園の素晴らしい庭園など

坂本龍馬新婚の旅碑

坂本龍馬関連に参ります。
坂本龍馬は寺田屋事件でケガをしたあと、妻・おりょうと共に薩摩に逃れて、湯治をしました。
その関係で、鹿児島には坂本龍馬に関する史跡も残っています。
上記でご紹介した小松帯刀の屋敷にも坂本龍馬は泊まっています。
下記は、その鹿児島入りした際に船の発着場所だったところに立つ坂本龍馬新婚の旅碑となります。

塩浸温泉は、実際に坂本龍馬とおりょうが2人で湯治した温泉です。
下記写真の左下にある湯船が、その当時の坂本龍馬が入浴した湯船となります。

塩浸温泉のレポートは下記をご参照願います。

塩浸温泉~坂本龍馬とお龍が18日間逗留した新婚旅行先の日帰り温泉

西郷公園

鹿児島空港の目の前には「西郷公園」と言う観光スポットがあります。
観光客の多くが降りたつであろう、鹿児島空港のすぐ目の前、ニッポンレンタカーさんの脇にあります。

レンタカーを早く返却した場合などには、うってつけの立ち寄り先で、観光所要時間は10分~20分程度となります。
西郷隆盛の像がありますが、高さは10.5mと、人物像の大きさとしては日本一となるそうです。

写真は夕方に撮影した為、逆光で申し訳ありません。
西郷公園の無料駐車場は下記のポイント地点となります。

ただし、駐車場付近には入口は無いので、空港側の正門まで行って入館する形となります。
トヨタリンタリースさんなど、レンタカーを返す場所が遠い場合には、返す前にちょこっと寄るのも手です。



西郷どんロケ地情報

仙巌園(せんげんえん)–磯の御殿
精矛神社(鹿児島県姶良市加治木町)
掛橋坂
重富海岸
龍門司坂(たつもんじざか)
知覧武家屋敷庭園
石橋記念公園
小牧の棚田(鹿児島県霧島市隼人町小浜小牧)
吹上町の田園(鹿児島県日置市吹上町)
志學館大学
八幡橋(茨城県常陸太田)
奄美大島
ワープステーション江戸
古河公方公園

ロケ地情報(地図あり)「西郷どん」2018年NHK大河ドラマ

鹿児島市内の観光用路線バス

新幹線や航空機で鹿児島を訪れた場合には、鹿児島中央駅より民間のいわさき(鹿児島交通)が「まち巡りバス」を20分間隔で運行しています。
こちらは1日500円で1コースのみですが、運行は20分間隔で27便あり利用しやすいです。

鹿児島市交通局が運行する「市電」「路線バス(市バス)」そして観光用の路線バス「シティービュー」の3つが乗り放題となる「1日乗車券」も便利です。
特に「シティビューバス」と言うのは、鹿児島市内の主な観光スポットを周回しているバスとなっています。
30分間隔17便のカビシマシティービュー/城山・磯コースと、1日7便のカビシマシティービュー/ウォーターフロントコースがあります。
1コースでぐるぐる回っていればよいのですが、2コースあるので、結果的にわかりにくくてややっこしいです。
おまけに市バスのサイトの時刻表もわかりにくいので、下記の「るるぶ鹿児島」を購入してコースを検討した方が早いです。
もちろん、最新版をご購入願います。


るるぶ鹿児島

るるぶ鹿児島ですと、シティーバスとまち巡りバスの時刻表がついていますので、計画を練りやすいです。
お勧めとしては、20分間隔の「まち巡りバス」の単独利用にて、寄りたいところを順番に降りて観光しながら進むのが便利だと思います。
車内で無料Wi-Fiも使えますしね。
なお、当たり前ですが、まち巡りバスの1日券で市バスのシティーバスは乗れませんので、ご確認申し上げます。

レンタルサイクル(貸自転車)

鹿児島では結構おしゃれな貸自転車・鹿児島市コミュニティティサイクル『かごリん』が、市内21カ所に設置されており、格安で自転車を借りることができる。
サイクルポートであれば、どこで借りてもOKで、どこに返してもOKなので、単なる移動手段として貸自転車を利用する事も可能だ。
面倒な事前登録などは不要だが、携帯電話番号が必須となる。
もし、家族で借りる場合には、携帯電話1台につき、自電車1台の貸し出しとなるので注意が必要。
登録料は1日会員が現金200円、レンタル料は30分=200円となるが、クレジットカードのみでの精算となる。

かごりん

オリジナルGoogleマップの活用法

正確な観光スポットの場所を記すため、下記のように当方オリジナルの地図を作りました。
鹿児島南部編、鹿児島編、姶良・加治木・その他と、大きく分けて3つのグループ分けをしてあります。
その地域にて、史跡を見学する場合、スレッドの上から順番に行くと、効率よく観光することができますが、戦国時代と幕末の両方の史跡が入っています。

青(ブルー)のPやマークの史跡は、主に幕末、すなわち西郷隆盛に由縁ある史跡です。
緑(グリーン)のPやマークは、主に戦国時代に由来する史跡・城跡などになっています。
黒のPは、史跡近くで便利な「無料」の駐車場です。
あずき色のPは、史跡近くで便利ですが「有料」のコインパーキングなどを示しています。
満車気味のところは、少し近隣も示しておきました。
なお、各施設はその後の状況で閉鎖されると言う事もありますので、地図はのご使用は自己責任にてお願い申しあげます。

もちろん、ご自身で他にも行きたいところがあれば、ご自由になさって頂いて構いませんし、不要なところがあればカットして頂いて良いでしょう。

スマホから上記のオリジナルGoogleマップにアクセスすれば、Google地図の機能には「カーナビ」(徒歩誘導も)あるので、間違いなく訪問することも可能となります。
よく、自治体や観光協会などの地図では、示している場所が違ったいたりすることがありますが、私のオリジナル地図では、正確性を重視しています。
直接、オリジナルGoogleマップをスマホなどで表示する場合には、スマホから下記にアクセス願います。

オリジナルGoogleマップ

ただし、上記などでもご紹介しているYahoo!地図のほうは「詳しい地図で見る」にしますと、ヤフーの仕様でポイント地点が「ずれて」しまいます。
間違った場所を示すことになりますので、大きな地図にはしないでご確認いただけますよう、お願い申し上げます。(Googleマップのほうは問題ありません。)



なお、鹿児島市・熊本市は赤信号が「長い」と言う印象を受けました。
逆の言い方をしますと、青信号が長いです。
右折ライン・右折信号が無い所も多いです。
鹿児島市内は、県庁所在地ですので、他の県同様に、通勤時間帯は道路も混雑します。
どうぞ、お気をつけて運転なさって頂けますと幸いです。

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髙田

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旅行会社勤務時の経験なども活かしまして国内旅行の情報提供中。
日本航空さんに年間20~30回搭乗して日本国内を巡っており、観光地での楽しみ方、お得な過ごし方などを掲載しております。
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