このページでは彦根城の城域にある玄宮園(げんきゅうえん)と楽々園(らくらくえん)をご紹介させて頂きますが、まずは楽々園からです。
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楽々園
楽々園は彦根城主・井伊家の下屋敷として、1677年に彦根藩4代藩主・井伊直興が造営開始しました。
江戸時代は「槻御殿」「黒門外御屋敷」と呼ばれていたそうですが、第12代藩主・井伊直亮が、佐和山や内湖が見える楽々之間を造ってからは「山を楽しみ水を楽しむ」と言う事で「楽々」の名が有名になったと言う事です。
城域内に大名の下屋敷が現存するのは、ここ彦根城だけでもあり、国の名勝に指定されています。
玄宮園
玄宮園は、琵琶湖や中国の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模して作られたとされ、やはり井伊直興が1677年に造営しました。
こらちの玄宮園は、隣接する楽々園に住む大名専用の「日本庭園」と言う事になります。
彦根城の天守を借景に取り入れて、池には4つの島と9つの橋が架かり、湖畔に臨池閣、鳳翔台、八景亭などの建物を配置しています。
玄宮園も国の名勝で、大変素晴らしい日本庭園でした。
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