←鎌倉・源頼朝の墓【北条政子ゆかりの地を散策】からの続きです
北条政子の墓は、寿福寺の裏山に掘った「穴」のような中にあります。
この寿福寺がある場所は、かつての源頼義が勝利を祈願したとされる「源氏山」を背にした、亀ヶ谷と言う源氏家父祖伝来の地であり、源頼朝の父・源義朝の屋敷もここにあったそうです。
そのため、源頼朝も鎌倉に幕府を開く際、最初はここを考えていたようですが、場所がちょっと手狭なのと、すでに岡崎義実が源義朝の菩提を弔う施設を作っていたこともあり、大倉幕府の場所にしたそうです。
上記は「寿福寺」の総門です。
ここから入って行けるのですが、鎌倉五山第3位でもある寿福寺の仏殿がある場所は立入禁止となっていますので、中には入れません。
なお、源頼朝が没した翌年の1200年に北条政子が創建したのがこの「寿福寺」です。
裏山に直登する階段は、崩れていて危険との事で閉鎖されているため、裏手の墓地へは、中門の前で左折して、反時計廻りに大きく歩いて、迂回することで辿りつきます。
山の「崖下」を目指してください。
上記は、源実朝の墓です。
「やぐら」という横穴墳墓の中にて供養されています。
源実朝は北条政子と源頼朝の4男で、鎌倉幕府の第3代征夷大将軍ですね。
ただ、源実朝は暗殺されたので、秦野にあるのが首塚とされていますので、鎌倉のは胴塚と言う事になります。
上記が北条政子の墓ですね。
他にも陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎など著名な方の墓があるのですが、標識などがある訳ではないので、よくわかりませんでした。
源実朝の墓と北条政子の墓は、源氏山の下にある寿福寺の裏手の墓地にあります。
分かりに行く場所ですので、下記の地図にてポイント地点を示しておきましたのでご参照願います。
この墓地からは源氏山を通って、銭洗弁天まで約400mくらいですので、時間があれば散策するのも良いです。
ただ、源氏山は心霊スポットとしても有名ですので、感度が強い方はご注意を。
私は、上記の「手掘りのトンネル?」を抜けて、鎌倉駅へと向かいしました。
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