大江広元の墓・島津忠久の墓・毛利季光の墓をご紹介いたします。
元々は京の下級貴族でしたが、源頼朝によって鎌倉幕府の公文所・別当に抜擢された大江広元の墓と伝わる「やぐら」が上記の写真です。
鎌倉の北東にある、源頼朝の墓から、ほど近い、山肌の途中にあります。
麓から階段を登ると、下記のような「台地」に出ます。
ここにはかつて、鎌倉幕府2代執権・北条泰時の墓があった法華堂跡?とされていますが、白旗神社も法華堂跡と言いますので、この麓に仏塔がいくつもあって、境内がこの山腹にも及んでいたのでしょうか?
ちなみに、この平場には発掘調査では、1辺が8.4mの正方形の形をした「三間堂」があったと推定されているそうです。
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あと、平場の左手の崖には、執権・北条家によって滅ぼされた三浦泰村一族の墓があります。
更に、平場から東に入った山腹には別の「やぐら」が2穴あり、その1つが北条義時のやぐら?ともされていますが、結構荒れているようで、どこにあるのかも分かりませんでした。
三浦一族の墓は脳裏に焼き付いているのですが、特に案内板などはなく、北条義時のやぐらも含めて、家に戻ってから「そうだったんだ」と言う事でして、上記写真。再訪して撮影した次第です。
このように鎌倉は行くたびに「宿題」ができてしまいます。
話を戻しますが、平場から更に奥へと進むと、再び階段が現れてせっせと上って行った先が大江広元の墓です。
写真には収まりきらないので、1つずつ撮影していますが、実はここには、やぐら式の墓が3つ並んでいます。
その一番左が大江広元の墓で、江戸時代の1823年に長州藩によって建立されました。
毛利季光の父ですね。
上記が島津家の祖となる島津忠久の墓です。
真ん中の墓になります。島津忠久は源頼朝の庶子とも言われています。
この墓は、江戸時代の1779年に、島津重豪が源頼朝の墓とともに整備したとされます。
そして、一番右にあるのが、毛利家の祖となる毛利季光の墓の墓で、こちらは墓域も下からの階段も独立しています。
しかし、大江広元の墓・島津忠久の墓・毛利季光の墓、三浦泰村の墓と三浦一族の墓、北条義時のやぐら?までココ1カ所に集まっているなんて、スゴすぎますよね?
もっと、整備して地図にも載せればいいのにとも思いますが、それ以上に有名なところがたくさんある鎌倉ですので、仕方ないのかも知れません。
観光所要時間は10分といったところでしょうか?
藪もありますので、夏場は「虫除け」や「熱中症対策」お願いします。
アクセス・行き方
駐車場はありませんので、付近のコインパーキングに止めて行くしかありません。
土日祝は道路も駐車場も混みますので、電車で鎌倉駅からは徒歩が無難かも知れません。
帰りは、岐れ路のバス停からバスの方が早いと思います。バスの時間は、時刻表通りには来ませんが、本数は10分に1本くらいありますので、待っていれば来ると思います。
大江広元の墓・島津忠久の墓・毛利季光の墓への入口は下記の地図ポイント地点です。
すぐ西側には、源頼朝の墓もありますので、セットでどうぞ。
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