朱円環状土籬(しゅえん-かんじょうどり)は、北海道斜里郡斜里町朱円西区にある約3000年前(紀元前1,200年頃)、縄文後期の史跡です。
標高16mの緩やかな斜面上にあり、国の史跡にもなっていると言います。
ヨーロッパやシベリア大陸にあるような、大きな立石をめぐらした環状石籬(ストーンサークル)に、似ていることから、朱円ストーンサークルと呼ばれ、日本では類例が少なく学術的価値が非常に高い遺跡です。
長い間、環状土籬(かんじょうどり)と呼ばれてきましたが、発掘調査の結果、同様な遺跡のすべてが、古代人の「墓」であることが判明したため、現在では「周堤墓」と呼ばれています。
そのため、正しい名称は、斜里朱円周堤墓(しゃり-しゅえん-ていぼ)と言ってよいでしょう。
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朱円(しゅえん)というのは地名で、明治時代には朱円村(シュマトカリ)と呼ばれていました。
この斜里町にて発見されている縄文時代の遺跡はなんと700箇所以上あると言います。
普段生活した住居の場所と、違うところに墓を構築しており、周堤内の地表面に大小様々な石を敷き詰めて、その下が墓となっています。
少なくとも20基以上の配石墓があったようですが、開墾にて多くの石が持ち出されているため、現在、見受けられるのは残っているだけの部分となります。
これらの墳墓からは、人骨のほか、土器や石器、両頭の石棒、漆器残片や玉類などの副葬品も見つかっており、知床博物館で常設展示されています。
なお、墳墓から出土した土器は、東北地方からもたらされた文様を持つため、縄文時代の後期には東北地方の文化的影響が、道東まで及んでいたことがわかります。
朱円ストーンサークル(朱円周堤墓)は大変貴重な事から、北海道と北東北3県にてユネスコの世界遺産登録をめざしている、 大湯環状列石などと共に「北海道・北東北3県の縄文遺跡群」のひとつにもノミネートされています。
交通アクセスですが、下記の地図ポイント地点にあり、入口にクルマ2台ほど止められるスペースかありました。
見学所要時間は5分~20分ほどになりますでしょうか?
斜里(シュリ)はアイヌ語の「サル」「シャル」(アシの生えているところ)より転訛したものです。
この付近は、海別岳も綺麗に見えるところです。
時間があれば、ちょっと寄り道してはいかがでしょうか?
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