原爆ドーム(げんばく-どーむ)は、 広島県広島市中区大手町にある被爆建造物で、国の史跡になっているほか、世界遺産(世界文化遺産)にも登録されています。
この建物は、もともと、広島県が1915年(大正4年)に建造した建物で、広島県の特産品・物産などを展示する「陳列館でした。
原爆が落とされた当時は「広島県産業奨励館」と呼ばれていました。
しかし、戦争が激化していることから、建物には、内務省中国四国土木事務所・広島県地方木材株式会社・日本木材広島支社などが、事務所として利用していました。
原子力爆弾の炸裂により、3階建ての建物は、ほぼ全壊しましたが、中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に、かろうじて残ったと言う形です。
爆心地付近では、数少ない被爆建造物(被爆建物)となりました。
太平洋戦争の際、1945年(昭和20年)8月6日、テニアン島から約7時間かけて飛来したのは、アメリカ空軍B-29爆撃機「エノラ・ゲイ」です。
先の7月26日、ポツダムで最後通告が出されていましたが、日本のマスコミ各社は「笑止」と報道しています。
アメリカ空軍の作戦としては、第1目標は、陸軍第5師団が広島城跡にあった広島市だった模様です。
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ただし、雲があって、目標が視認できない場合に備えて、代替目標として小倉・長崎も含まれており、その3箇所に、気象観測用のB-29が先行して飛んで行ました。
エノラ・ゲイが、四国上空に差し掛かった際に、日本軍の戦闘機1機より、2回射撃を受けましたが、高高度のため、被弾もなかった模様です。
<注釈> 日本の戦闘機は、五式戦でも高度8000m程度から、更に上空を飛行しているB-29へ射撃ができるのは、1回~2回が、精一杯の迎撃態勢でした。(日本機は高度で速度が出ないので追い付けないなどの理由)
先行していた観測機は、日本陸軍でも確認されており、中国軍管区司令部より、朝7時9分に「警戒警報」が発令されています。
しかし、広島上空を通過離脱したため、7時31分に警戒は解除されました。
なお、前夜(深夜)には、2回ほど空襲警報も発令されていたため、何度も警報があった状況のようです。
その後、8時過ぎに、B-29を2機(実際には観測機含めて3機)が飛来したため、中国軍管区司令部は、8時13分に、警戒警報を発令することを決定しました。
その警報伝達を準備していた時間に、相生橋を投下目標として、朝8時15分17秒、自動操縦のB-29は上空高度9632mから原爆を投下しました。
原爆は、少し目標をはずれて、約43秒間落下したあと、細工町「島病院」上空約600mで爆発したと言う事になります。
爆心地に近かった原爆ドームは、爆風がほとんど、上から真っ直ぐ下に働いたため、奇跡的に、厚い側面の壁や、鉄骨のドーム部分などは倒壊を免れました。
当時の広島市の推定人口35万人のうち、9万~16万6千人が、被爆から2~4か月以内に死亡したとされています。
爆心地の半径500メートルでは、閃光と衝撃波がほとんど同時に襲ったようです。
島病院は、完全に吹き飛ばされ、約80名の職員と入院患者の全員が即死となりました。
爆心地から700メートル付近で脱線した路面電車は、黒焦げ状態となりました。
この広島電鉄650形電車651号車は「被爆車両」として修復され、執筆時点でも、平日朝夕のラッシュ時に限定して、今でも運行されています。
広島城の天守も、数日、残っていましたが、崩れ落ちました。
よく映像で見るキノコ雲は、観測機から撮影されたもので、爆発から約3分後の映像となります。
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テニアン島に帰還すると直ちに、B-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長・ティベッツ大佐には栄誉十字章、他の12名の搭乗員には銀星章が授与されています。
そして、深夜まで盛大な祝賀パーティが催されました。
ただし、広島市内にいたアメリカ軍の捕虜十数名も、全員が被爆死していることも、記載させて頂きます。
長崎でも、アメリカ兵7名、イギリス兵1名、オランダ兵1名の捕虜が被爆死しています。
広島に投下された原子力爆弾は、ウラン235の核分裂物質が使われたものでした。
ウラン235を、臨界量より少ない2つの塊に分けておいて、爆薬にてその2つの塊を、ぶつけ合わせると、一瞬のうちに臨界量以上になり、急速に核分裂が連続して発生し、膨大なエネルギーが起こるものです。
その爆発の瞬間、強烈な熱線と、放射線が放出されます。
また、空気が膨張し、その衝撃波が、爆風となって周囲へ吹き抜けます。
なお、核爆発による放射線量ですが、地上汚染の最大被曝線量は、広島で 0.006~0.02 Gy、長崎では0.12~0.24 Gyと推定されており、実際には長崎の方がひどかったようです。
現在の広島や長崎の放射線量は、地球上の他の地域と変わらない、少ない放射線(自然放射線)ですので、人の体にも影響を与えることがないことを、念のため、明記しておきます。
そもそも、航空機やミサイルで運搬できる爆弾の重さは限られますので、核物質もたくさん積み込みできません。
そのため、放射線に関しては、東日本大震災のときに、原子力発電所から出た放射線の方が、広島・長崎より、もっともっと、ものすごく大きいです。
ちなみに、広島に投下された「リトルボーイ」(広島型原爆)である、ガンバレル型の原子爆弾(人類史上初めて実戦で使用された核兵器)は、その後、搭載している飛行機が墜落したりするだけでも、爆発することから、使用は中止されています。
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現在、核弾頭は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9か国が保有しています。
しかし、核弾頭(原子力爆弾)は、だいぶ古い設計でもあり、現代では、敵国から攻撃を受けないための「抑止力」としての効果が期待されています。
理由としては、核兵器より、もっと強力な「電磁波関連の兵器」、例えば「プラズマ兵器」などが、だいぶ研究されつつあり、核兵器に変わる新しい兵器になろうとしています。
まず、対空用の高出力レーザーシステム「ヘリオス」が、2021年には、アメリカ海軍の駆逐艦に、搭載が始まる見込みです。
日本でも、同じく、防空用に「高出力レーザシステム」の研究・開発を進めています。
このように「新兵器」実用化の目途がたってくると、大国も、古くなった「核兵器」を削減しますなど、一見、良いことをするように見せかけます。
よって、原爆で命を落とした皆様や、後遺症で苦しんだ皆様のためにも、核兵器廃絶を唱えるだけでは不十分でして「大量破壊兵器」(核・化学・生物兵器)全体を、無くすような取り組みを行っていく必要性があると、節に感じずにいられません。
下記の写真は、外壁などの保存工事中の原爆ドームです。
原爆ドームへの交通アクセス・行き方ですが、ここでは、駐車場に関して明記したいと存じます。
駐車場はありませんので、近隣のコインパーキングか、商業施設の有料駐車場利用となります。
コインパーキングは、原爆ドームの東側に、いくつも点在しています。
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