北陸観光

平泉寺のコケ~心洗われる壮大な宗教都市のおもかげ


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国指定史跡の平泉寺(へいせんじ)は、奈良時代の717年(養老元年)に、越前出身の修験道の僧・泰澄(たいちょう)が建立したのが始まりです。

この泰澄は麻生津の豪族・三神安角(みかみ-の-やすずみ)の次男として682年に生まれました。
14歳の時に出家し、越智山にて修行を積むと、大宝2年(702年)には、文武天皇から鎮護国家の法師を任じられて豊原寺(豊原三千坊)を建立しました。

その後、717年に加賀の白山に登って妙理大菩薩を感得し、平泉寺を開いた次第です。

その後、日本各地てせ仏教の布教活動を行い、元正天皇の病気平癒を祈願すると、神融禅師(じんゆうぜんじ)の号を賜っています。
737年に流行した疱瘡を収束させるのに功績があったと言う事で、称徳天皇が即位する際に、正一位大僧正位を賜って、泰澄と改名しました。
泰澄は、越の大徳と称されます。



平安時代には、平泉寺も豊原寺も、天台宗の有力寺院となり、越前でその権勢を誇ります。
そして、多くの僧兵も抱えました。

平家物語では、平家と木曾義仲方が、燧ケ城の戦いとなった際には、平泉寺の長吏斎明威儀師が、木曾義仲から寝返って平家についたことが記載されています。
斎明は、倶利伽羅峠の戦いで捕縛され、処刑となりましたが、木曽義仲は藤島城付近の藤島七郷を平泉寺に寄進して、関係修復を図っています。

そのころ、日本海の名勝として知られる「東尋坊」と言う名の僧侶も、平泉寺にいました。
東尋坊跡が、無料駐車場の近くにありますが、昔の平泉寺の絵図を見ますと、このあたりは、寺域の真ん中あたりでして、とにかく広大だったのが分かります。

鎌倉時代となると、源頼朝に追われた源義経弁慶などの主従が、山伏の姿にて奥州に落ちる途中、平泉寺に立ち寄ったとされており、源義経や弁慶に関する伝説も残っています。

その後、平泉寺は比叡山・延暦寺の勢力下に入りますが、更に山伏僧兵が集まっており、越前守護となった朝倉家の保護を受けると最盛期を迎えました。

寺は48社、建物は36堂、6000もの坊院が建ち並び、寺領は9万石(9万貫)、そして、8000人もの僧兵がいたと伝わります。
この当時の日本にあった宗教都市としては最大です。
ちなみに、豊原寺も豊原三千坊と言うくらいですので、平泉寺同様に力を持った寺院と言う事です。

こうして天台宗の平泉寺と豊原寺は、越前でも見過ごすことができない勢力となり、一乗谷の朝倉氏に協力します。

しかし、織田信長によって朝倉家が滅ぼされると、くすぶっていた一向一揆が爆発します。
1574年(天正2年)、一向一揆勢に追われて、逃れてきた朝倉景鏡を平泉寺が匿ったため、一向一揆・下間頼照の襲撃を受けて、平泉寺は全山が焼失しました。
一向一揆は1575年に、織田信長が撲滅しますが、この時、一向一揆に味方した豊原寺も焼き払われています。

豊原寺跡には、北ノ庄城に入った柴田勝家の養子・柴田勝豊が寺跡に豊原寺城を築いています。
平泉寺は、豊臣秀吉などの崇敬を受けて、顕海が復興させましたが、規模はだいぶ縮小したようです。

霊峰白山(標高2702m)の越前側登拝口の名残りが、現在鎮座する、平泉寺白山神社(へいせんじ-はくさんじんじゃ)と言う事になります。

しかし、隆盛期の面影を垣間見える約1.2kmの旧参道「中宮平泉寺参道」(ちゅうぐうへいぜんじさんどう)は健在で、樹齢1000年におよぶスギやブナのほか、サラ、ヤマナシの老木に覆われています。

日本の道百選・歴史の道百選にも選ばれており、コケがとても綺麗な事でも有名です。

旧参道の石畳は、室町時代に九頭竜川の石を、修行僧が手で運んだ普請とされています。

下記は、泰澄を白山に導いた女神が現れたと伝わる、御手洗池です。

現在の境内の大きさは、往時の姿を伝える10%程度でしかないと言いますので、大変広大な寺院であったことがわかります。

白山神社の付近も美しい苔で覆われていおり、「苔寺」とも呼ばれています。
吉永小百合さんが出演したJR東日本のCMでもロケが行われました。

私が訪問した日は、台風が去ったあとであったため、茶色い杉がだいぶ落下していて、尚且つ曇り空だったため、緑一面のコケと言うわけにはいきませんでしたが、それでも、目を奪われます。

下記は現在の拝殿ですが、全焼する以前の拝殿は、46間(約83メートル)と横幅がすごく長くて大きな建物だったと伝わります。

現在の本社は1795年(寛政7年)に第12代福井藩主・松平重富によって再建されたものです。

明治の神仏分離令では、寺号を捨て神社を選択し、現在に至ります。

一番奥には「三宮」があります。
安産の神様・栲幡千々姫尊が祀られており、お産が軽くなると信仰されています。

近くには、楠木正成の供養塔があります。
これは、楠木正成の甥・恵秀律師が、1336年に三ノ宮の拝殿にて行をしていると、楠木正成が鎧甲武者姿で現れたと言います。
不思議に思っていると、その日に楠木正成が、湊川の戦いで討死にしたことがわかり、石塔をたてて供養したと言う事です。

1574年の一向一揆で、石塔の一部も失われましたが、寛文8年に福井藩主・松平光通が修繕し、周囲に石の柵をもうけました。

平泉寺の参道は先に向かって坂になっていますが、そんなに急なところはなく、比較的ゆるやかになっています。
スニーカー以上でしたら、問題なくお参り可能です。

駐車場から、楠木正成公墓塔までの往復は、一生懸命歩いて約50分でした。
と言う事で、平泉寺の観光所有時間は60分~90分といったところだと存じます。
ガイドさんと共に行きますと2時間は見た方が良いでしょう。
時間があれば、南谷史跡公園もぜひ見学されると良いですが、道は狭いです。

駐車場はいくつかありますが、当方のオリジナル観光地図に記載されている駐車場が一番便利です。
手前の方の駐車場に止めますと、遠くなってしまいます。

行き方・アクセスですが、えちぜん鉄道の勝山駅からバス・タクシーなどで約10分~15分となります。
駐車料金や拝観料は掛かりませんが、広いところですので、どうぞ、時間を多めに見積もってご訪問頂ければと存じます。
永平寺とセットでどうぞ。

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髙田

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