西山荘(せいざんそう)は、茨城減の常陸太田市にある山荘です。
江戸時代初期の水戸藩主・2代の徳川光圀(とくがわ-みつくに)が、徳川幕府より隠居の許可が下りて権中納言となり、1691年5月から約10年間、1700年12月に没するまで、約10年間過ごした場所になります。
国指定史跡、国の名勝に指定されています。
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西山荘は、常陸・太田城から西に行った、谷戸の奥にあります。
現在下記のような売店があり、その建物の中を通って奥へと進ん行きます。
当時は西山御殿と呼ばれ、佐々宗淳(助さん)ら約60名の水戸藩士らが伺候しました。
水戸黄門が暮らした屋敷とは、ちょっと離れたところに藩士らの住まいがあったようです。
西山荘では、薬草から約400種類の薬を調合するなどしたほか、近くの古墳の発掘調査も行ったと言います。
また、水戸光圀が主導し、有名な「大日本史」と言う日本の歴史書編纂も行っており、それまでに日本各地に藩士を派遣しては、現地で歴史の聞き取りなどをしていました。
これが、のちの、諸国漫遊の物語「水戸黄門」に繋がっています。
もっとも、大日本史の編纂には、水戸藩の税収の30%を使うと言う莫大な予算が掛かっており、のち、水戸藩では財政が悪化する要因にもなり、領民の負担も大きかったようです。
下記の付近から先は有料エリアになり、左手にある建物内でチケットを購入します。
水戸藩主は天下の副将軍として、常時、江戸の藩邸におり、参勤交代などで水戸城には戻ることは通常ありません。
隠居の身とは言え、水戸にて多くの領民と親交を重ねた徳川光圀は「黄門さま」と慕われました。
この「黄門」(こうもん)と言うのは、中納言(ちゅうなごん)の事を、唐(中国)では、黄門と呼んだためです。
ただし、水戸黄門が過ごした建物は、江戸時代に焼失してしまいました。
その後、1819年に、8代藩主・徳川斉脩(なりのぶ)が再建したものが、現在ある西山荘で、規模は約3分の1に縮小されていると言います。
現在は、徳川ミュージアムが管理しており、入場料は1000円(小中学生600円)です。
スイカなどの交通ICカードも使えます。
水戸黄門などドラマのロケ地でもありましたので、出演者さんのパネルもありました。
春には梅、夏は新緑、秋には紅葉,冬は雪景色など、四季を通じて日本の自然美も楽しめます。
クルマの音などの雑音は、まったく聞こえてこない、谷戸の奥になっており、現世を離れた居心地を堪能できました。
交通アクセスですが、JR水郡線り常陸太田駅から茨城交通バスの上宮田代行きに乗車し、西山荘入口バス停下車の徒歩5分です。
無料駐車場は100台ありますが、駐車場から西山荘の建物までは5分くらい歩きます。
西山荘の観光所要時間ですが、有料エリアも含めますと、20分~30分といったところです。
わりと平坦な散策路で、階段は多くありませんので、ご高齢でも歩ける方であれば、とても楽しめる良いところです。
西山荘で長寿をまっとうした徳川光圀ですが、水戸黄門漫遊記の人気によって、たくさんの人々に知られるようになったわけです。
西山荘の無料駐車場がある場所は、当方のオリジナル地図にてわかるようにしてあります。
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