大阪の四天王寺(してんのうじ)は、聖徳太子が建立した七大寺の一つとされています。
この付近が「天王寺」と言呼ばれているのは、四天王寺の略称です。
593年に建造が開始されたと日本書紀に記載されており、日本仏教の祖とされる聖徳太子が建立した寺として、既存の仏教宗派にはこだわらない全仏教的な立場を取る「和宗」の総本山となっています。
後醍醐天皇などもしばしば参詣しましたが、戦国時代の1576年に織田信長による石山本願寺の戦いで焼失すると、のち豊臣秀吉が再建しています。
しかし、1614年の大阪冬の陣にて再び焼失し、その後は徳川幕府によって再建され、四天王寺旧境内は国指定の史跡になっています。
今回は大阪出張の余った時間で夕方に急遽訪れてみました。
余り撮影もせずに慌ただしくお参りさせて頂いたので、良い写真はありませんが少し載せておきます。
四天王寺の引導石は、境内にある四石(しせき)と呼ばれる四つの霊石の1つです。
砂利の中から石の頭が出ているパワースポットですね。
葬送の際に、しばらく棺を鳥居の前に置いて、太子の引導鐘を三打すると、聖徳太子自らがこの引導石の上に影向されて、極楽浄土に導かれるそうです。
上記は、源義経の鎧掛け松です。
鎌倉時代には源頼朝も参拝したそうですが、伝説によると、源義経が京から逃れて、大物浦(兵庫県)から西国に向かおうとした時、時化のため難破して和泉国に流れ着いたあと、吉野山に逃れる途中で四天王寺に寄って、松の木に鎧を掛けたとされています。
現在の松の木はもちろん当時の物ではないでしょうが、伝説の地と言う事です。
1623年建立である六時堂の手前にある四天王寺の石舞台は、1615年~1624年に作られたとされる重要文化財で、住吉大社の石舞台、厳島神社の平舞台と並ぶ「日本三舞台」の1つです。
聖徳太子の命日である4月22日には、終日雅楽がこの舞台で奉納されるとの事です。
六時堂の賽銭箱脇には「おるかも地蔵」があります。
願い事を思い浮かべてお祈りし、お地蔵様の重さを創造して両手で「持って」みます。
そして、想像していたよりも軽ければ「願い事が叶う」とされ、重ければ「まだその時期ではない」と言う事になります。
四天王寺の大黒堂のご本尊は三面大黒天です。
子孫繁栄・福徳智慧・商売繁盛などにご利益があるとされ、昔から庶民の信仰があつかったようです。
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以上、疲労と時間の都合で、有料拝観やすべての伽藍を撮影するには至りませんでしたが、四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並んで、日本における本格的な仏教寺院としては最古のものとなります。
近くに住んでいればもっと詳しく調べたり撮影したりしたいのですが、皆様もお近くにお出掛けの際には是非、ご訪問なさってみてください。
下記地図のポイント地点は、源義経の鎧掛け松がある場所を指しております。
縮尺を変えてご覧ください。
付近の戦国時代の観光スポットは下記の通りです。
・茶臼山(大塚城、茶臼山砦)と旧黒田藩蔵屋敷長屋門【天王寺公園】
・本多忠朝と一心寺【真田の抜け穴・本多忠朝の墓】
・3分でわかる「源義経」の偉業と悲運
・安居神社(安井神社、安居天満宮)~恐れることなく戦い散った真田幸村最後の地
・聖徳太子と倭国改革~国家の礎を建設した古代英雄の思想
・姫路・大阪・高野山3日間の旅【真田幸村のゆかりの地】総合計画編
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