妻籠宿とは
妻籠宿(つまご-じゅく)は、長野県木曽郡南木曽町にある中山道の宿場で、木曽路を代表する人気の観光地になっています。
中山道から飯田街道に分かれる交通の要所でもあり、江戸時代には、最盛期で本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒、家屋31軒があったそうです。
国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地のひとつになっており、日本遺産にも選ばれています。
訪問時の天候は、台風が南の海上から北上中で、あいにくの雨でしたが、ご迷惑でなければ、写真・みどころの解説など、ご覧頂けますと幸いです。
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妻籠の駐車場は、有料駐車場で、主に3箇所に分かれます。
今回は、国道256号沿い、坂下側(馬籠側)となる、妻籠宿「中央駐車場」に止めました。
駐車場の係員さんの説明を受けて、下記の尾又橋を渡り、宿場町へと入りました。
中央駐車場から歩いて3分ほど進み、旧中山道に出ますと、いきなり、タイムスリップしたかのような景観が待っていました。
さすが、日本で最初に町並み保存に動いたこの「妻籠宿」です。
木曽谷では、贄川宿、奈良井宿、藪原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿、須原宿、野尻宿、三留野宿、妻籠宿、馬籠宿と11宿ありましたが、妻籠は一番小さな宿場だったようです。
土産物店などだけでなく、現在も旅館や民宿を営んでいる旅籠(はたご)家屋もあるようです。
江戸の初期には幕府領でしたが、元和元年(1615年)から、森林資源が豊富な木曽谷は尾張藩の所領となっていました。
下記は、豊川稲荷大明神(延命地蔵)でして、丁重にお参りさせて頂きました。
その反対側には、下嵯峨屋と言う三軒長屋のひとつが復元されていました。
古い町家になるは切り妻造り平入りで、緩い勾配の板葺石置き屋根と言う、一般的な庶民の家を再現しています。
下嵯峨屋のところから、舗装路(坂道)と、階段下にある未舗装路がありますが、その未舗装のほうを進むと、妻籠で一番趣がある路地となります。
常夜燈や水場も宿場の面影を偲ばせています。
下記は妻籠宿の枡形(虎口)でして、中山道が、クネクネと、直角に曲がっている箇所になります。
東京の板橋を1番目の宿場とすると、妻籠(つまご)は、43番目になるそうです。
今の妻籠は「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を貫いている、とても貴重な場所です。
保存されている妻籠宿には、公衆トイレや、無料休憩所も点在しており、休みながらの散策も可能です。
また、信州そばなどの飲食店もありますので、ランチ(昼食)を取ることもできます。
妻籠宿本陣は、1995年に復元された本陣で、有料拝観可能です。
江戸時代に島崎氏が、妻籠宿本陣を任され、明治に至るまで本陣・庄屋を兼ねた地位にいました。
馬籠にて生まれた島崎藤村の母は、この本陣が生家で、本家に嫁いだと言う事になります。
妻籠最後の当主は島崎藤村の実兄で、馬籠の本家から養子に出された島崎広助(ひろすけ)となります。
妻籠宿本陣の建物内部は、撮影禁止でしたので外観だけ撮影させて頂きました。
次に寄った、脇本陣奥谷とのセット券がお得になっています。
しかし、当日は、先に本陣に寄らせて頂きましたら、脇本陣とのセット券(3館共通券)での販売ができないと言う説明でして、先に、脇本陣で購入しないと、セット割引には、ならないとのお話でした。
理由はよくわかりませんが、雨も降る中、不便でしたので、仕方なく、単独券で、見学させて頂きました。
共通券が、片方の施設でしか、購入できないと言うのは、少し、理解に苦しむところです。
下記が、脇本陣・奥谷になります。
本陣からも徒歩30秒と、すぐ近くです。
脇本陣奥谷(おくや)は、代々脇本陣・問屋を勤めた林家の建物で、国の重要文化財です。
脇本陣と歴史資料館の共通券での有料拝観となります。
現在の建物は明治10年(1877年)に、それまで禁制であった木曽桧を豊富に使い、建てられたものとなります。
島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもあるそうです。
本陣と同様に、建物内部の撮影は禁止との事でしたので、外にて井戸を撮影させて頂きました。
脇本陣奥谷の裏庭には、歴史資料館があり、脇本陣を抜けたあと、見学ができます。
しっかりと、新型コロナ感染対策もなさっているのに、現金での入場券販売でしたので、手を消毒しても、入場券やお釣りは手渡しですし、感染防止対策が、充分ではないと感じました。
今後は、入場券も、電子マネーなどで決済できるようになると、良いなと存じます。
しかし、雨天で、マスクをしていると、メガネが曇って、よく見えません。
下記は、高札場でして、坂道の途中にありました。
高札(こうさつ)と言うのは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書いたものです。
だいたい、ひとつの宿場に1箇所ありましたが、いずれも江戸から京都に向かって、街道の右側にあるのが特徴です。
森林を伐採した木材が木曽の人々の生活を支えていましたが、江戸時代初期に森林資源が枯渇し、尾張藩は「伐採禁止令」を出したそうです。
その結果、木曽谷では、木曽漆器などのなどの特産品・伝統工芸品が生み出されました。
下記は、口留番所跡でして、跡地になっています。
口留番所(くちどめばんしょ)と言うのは、各藩が設置した番所のことで、江戸幕府の関所に相当します。
しかし、関所の要件を満たさない、小さな規模のものは、口留番所と呼ばれました。
確かに、箱根の関所などと比べますと、土地も狭いです。
下記は、鯉岩(ふないわ)と呼ばれた、中山道名三石のひとつでしたが、明治24年の濃尾頭大地震で、頭の部分が落ちてしまい、形が変ってしまっているとの事です。
この鯉岩の付近で、馬籠宿のみどころは、北限でして、あとは、折り返て、駐車場に戻りました。
馬籠宿は、坂道に形成されていると言う感じですが、妻籠宿は、平坦な道が多いため、お年寄り、車いすの方も不便なく観光可能です。
観光所要時間は、ゆっくり歩いて60分といったところでしょうか?
例年の紅葉の見頃時期は、11月上旬~11月中旬となります。
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交通アクセス
妻籠宿への交通アクセス・行き方ですが、電車の場合、JR中央本線の南木曽駅より、南木曽町新交通システム(おんたけ交通バス)の保神線・馬籠線にて、妻籠バス停下車となります。
クルマの場合、中津川ICから約30分ほどです。
自動車で訪問される場合には、当方のオリジナル地図にて駐車場をポイントしておりますので、よければ、カーナビ代わりにご活用願えますと幸いです。
馬籠宿からは、自動車で、カーブが多い馬籠峠を越えて、約10km、所要20分ほどになります。
妻籠宿から馬籠宿までは、標高801メートルの馬籠峠を越える旧中山道を歩く全長9Kmコースが、徐々に人気となっています。
中山道を歩きますと、約3時間のハイキングとなります。
クルマで訪問した場合、妻籠~馬籠間のバスは1日3本(片道26分)のため、往路はバスで行き、帰りに中山道を歩いて戻ってくると良いと存じます。
観光案内所などで、馬籠宿~妻籠宿の手荷物お預かりサービス、完歩証明書の発行、熊よけの鈴の貸付なども行っています。
省エネコースの場合、バスで馬籠峠まで行って、中山道の下りを90分歩いて、妻籠に戻るのも一考です。
・馬籠宿のみどころ解説 ノスタルジーな江戸時代を歩く
・妻籠城の解説 妻籠城の戦い
・寝覚の床(ねざめのとこ)【木曽川・国の名勝】浦島太郎が玉手箱を開けた場所?
・奈良井宿~鳥居峠に繋がる大規模な宿場町の歴史景観
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