長野観光

善光寺 由来と御開帳 日本最古の仏像 本田善光とは

善光寺

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善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある寺院で、正式な名称は定額山善光寺と言います。
善光寺の創建ですが、聖徳太子が没して20年後くらい、飛鳥時代の642年頃とされます。
もともと、日本は神道を信仰していました。
そこに、朝鮮から仏像が日本に入ってくるようになりますが、古墳時代、朝鮮の百済(くだら)は、高句麗から攻撃を受けていて不利な状況でした。
そのため、百済は倭国のヤマト王権に援軍を求めており、関係を強化するのと、仏教の教えを広めるため、仏像・経典などを日本に送ったと言う事になります。
この仏教伝来の過程で、善光寺の本尊も日本に渡り、権力を持っていた蘇我馬子らは、仏教の発展に努めました。
しかし、権力争いでも対立していた物部守屋(もののべ-の-もりや)や中臣鎌子らは、古来からの神道の信仰を続けるべきだと主張します。
そこに、疫病が流行し、それは新しい仏教が原因だとして、物部氏らは天皇に仏教を禁じるよう排仏を訴えた結果、仏塔や仏殿は焼かれ、仏像を海に投げ捨てられました。


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伝承によると、それから約50年後の西暦600年、物部氏(もののべし)によって捨てられていた仏像を、都にのぼっていた本田善光(ほんだ-よしみつ)と言う人物が、
難波・堀江の阿弥陀池(あみだいけ)(奈良の明日香村とも)にて拾います。
なんでも、阿弥陀仏が水の中から飛び出してきて、本田善光の背中におぶさったと言います。
天皇の許可を得て、信濃・飯田の伊那郡麻績の自宅に持ち帰りました。
若麻績に住んでいたことから、本田善光の別名は、若麻績東人(わかをみ-の-あずまんど)とも言い、妻は弥生御前、子は本田善佐と伝わります。
その後、水内郡誉田(信濃北部)に住んだことから本田善光と称した模様です。
しかし、霊告によって、642年、水内郡芋井郷(長野市)に移し、644年には、女性天皇・皇極天皇による勅願にて、伽藍が整備されると、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。
この頃、滅亡の危機にあった百済は、ヤマト王権を頼っており、皇極天皇(斉明天皇)は、奈良に百済大寺を建立するなど、仏教も保護していたようです。
ちなみに、善光寺の周辺には、若麻績さんと言う姓名の方が、たくさんお住まいで、一部の皆様は、塔頭寺院の住職も務めておられます。

信州・善光寺は、何度も火災にあっており、再建を支援した源頼朝は、1197年に自ら善光寺に参詣しています
浄土真宗の宗祖・親鸞聖人、時宗の宗祖・一遍上人なども善光寺に参拝しました。

善光寺詣で

戦国時代には、春日山城主の上杉謙信し、武田信玄の争いにも巻き込まれました。
特に、武田信玄は、一時、善光寺の本尊を交付に持ち帰り、1558年、甲斐・善光寺を建立して祀っています。
この時、甲斐の人々は善光寺如来が来たことを非常に喜んだと言います。
その後、1582年、武田家が滅亡し、織田信長の支配下となりましたが、明智光秀によって本能寺の変にて織田信長が横死すると、本尊は織田信雄によって、尾張・清州城下の甚目寺に移されました。
更には徳川家康の手に渡り、三河・吉田城、浜松城下の鴨江寺と移動されたあとに、長野の善光寺に戻されています。
しかし、安泰とは言えず、1596年の慶長伏見地震にて、豊臣秀吉が建てていた東山・方広寺の大仏が倒壊すると、1597年、豊臣秀吉は夢のお告げとして、大仏の代わりに善光寺如来を京の大仏殿に安置させました。
善光寺如来には多くの京の民が参拝に殺到したとあります。
しかし、翌年、豊臣秀吉が病となったため、善光寺如来の祟りではないか?と言う話も出て、長野の善光寺に戻されましたが、その翌日に豊臣秀吉は死去しています。
その後、善光寺は、勧進や出開帳などによって人気となり、江戸時代には「善光寺参り」が流行りました。
徳川家康は、寺領1000石の寄進と言いますので、スゴく信仰が厚かったことが伺えます。
例えば、徳川家の菩提寺である芝の増上寺に寄進されたのも当初は1000石です。(その後、1万石に加増)

三門(山門)は江戸時代中期の1750年に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

善光寺の山門

現在の本堂は、とても大きな建物で、江戸時代中期の1707年に完成したものですが、国宝に指定されています。

善光寺の本堂(国宝)

独自に歩んできた長野の善光寺は、なんと「無宗派」です。
ただし、周辺にある
正式な名称は『定額山善光寺』で無宗派なのですが、実質は天台宗と浄土宗による共同運営であり、境内に両宗の代表が住まう『大勧進』と『大本願』の寺院と、それぞれの宿坊が周辺に軒を並べています。

善光寺如来

信濃・善光寺のご本尊は日本最古とされる一光三尊形式の阿弥陀如来「善光寺式阿弥陀三尊」で、絶対秘仏です。
ただの秘仏ではなく、絶対秘仏ですので、僧侶であっても見てはいけないと言う仏像になっています。
日本全国の絶対秘仏としては、浅草寺のご本尊、奈良の東大寺・二月堂のご本尊も同じです。
そのため、長野・善光寺の本尊は1度も学術調査されたこともないので、国宝などの文化財指定も受けていません。
善光寺縁起によると、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は天竺の月蓋長者が造った仏像とされ、インドから朝鮮半島の百済国を経由して、古墳時代の552年に百済の聖王(聖明王)が欽明天皇に献上し、日本に渡ってきた、現存する日本最古の仏像と言われています。
例えば、高野山にも秘仏がたくさんあり、全部調査されると、国宝や重要文化財が1万点は出るのではと言われていますが、善光寺のご本尊も同様の状態です。
誰も見たことが無いと言うため、本当にあるの?と疑問を抱く方もおられるでしょう。
実際に、記録に残っているだけで、善光寺は11回も焼けていますが、まぁ、そのあたりは皆様のご想像にお任せするといったところでしょうか?
善光寺由来記によると、江戸時代に偽物が出たため、江戸幕府の実力者である甲府城主・柳沢吉保の命によって、善光寺本尊が検分されたとあります。
この時の記録により、中尊の阿弥陀如来は高さ一寸五尺(約45cm、約24Kg)、両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩のは高さ一尺(約30cm)と記載されています。
このように絶対秘仏のため、善光寺と言えば「御開帳」が有名です。

開帳

現在、ご開帳は、数え年で7年に1度(6年間隔)で行われております。
次回の御開帳は、2021年(令和3年)4月4日(日)〜5月30日(日)の約2ヶ月間の予定です。※4月3日~6月29日になりました。
ただし、善光寺の本尊は絶対秘仏ですので、開帳されるのは国の重要文化財になっている「前立本尊」となります。
この前立本尊は、絶対秘仏の本尊の「複製」とも言える仏像であり、本物に近い模造品と言う事が言えますが、それでも、立派な仏像で、大変ご利益があるようです。
回向柱(えこうばしら)と言う木造の柱が建てられますが、その柱に触ると、前立本尊に触れたのと同じご利益があり、来世の幸せが約束されると言われています。
また、釈迦堂前にも小さい回向柱が立てられますが、この回向柱にも触れることで、釈迦如来と結縁し、現世の幸せも約束されるとされています。
よって、二つの回向柱には触れると、現世の仏である釈迦如来と、来世の仏である阿弥陀如来と結縁でき、ご利益・功徳が得られると言われていますので、柱は2つとも、触っておきたいところです。


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このようなご開帳は、タイミング的にも難しいと言う方が多いと存じますので、普段、お参りされる場合には下記の方法がお勧めです。

普段のお勧め参拝

善光寺の山門前には門前町があり、表参道が仲見世通りとなっていて、お土産品・昼食などのお店もたくさんありますが、普段のオススメ・楽しみ方としては、なんといっても「お戒壇巡り」です。
お戒壇巡り(胎内めぐり)は、本堂の下にある真っ暗な回廊を巡って、中程にある「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上にいる秘仏の御本尊と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束を頂ける、一般参加可能な簡単な道場です。
長さは約45m、所要時間は5分ほどになり、入口は本堂の内部に入って右前方にあります。
この内陣参拝は有料で、料金は大人・大学生500円となります。
時間は、お朝事の1時間前~夕刻まで(16時または16時30分まで)となります。
なお、寸先も見えない暗闇の中を手探りで進む感じですので、前の人にぶつからないよう、ご注意願います。
初詣の時期や、GWなどは混雑しますが、普段の土日でしたら、待っても30分ほどだと存じます。

善光寺の紅葉

御朱印は本堂前御朱印所、本堂内御朱印所の2か所にて頂けますが、どちらも通常の本堂1種類です。
なお、本堂前御朱印所では季節限定の御朱印もあります。
また、善光寺の山門(文殊菩薩)、経蔵(経蔵)、本堂内御朱印所(びんずる尊者)、忠霊殿(忠霊殿)、クルマで10分ほど離れた雲上殿(雲上殿)といった諸堂めぐり限定御朱印(紙札)も別途あります。

七五三の健全育成祈願は、毎年10月と11月の毎日で行っています。
七五三の祈願料は、お子様1人につき3000円以上となっています。
その他、お初参りのご祈願も可能です。

また、善光寺の周辺には、39の宿坊があり、宿泊したり、精進料理の昼食だけ頂くと言う事も可能です。

善光寺の宿坊に宿泊する

宿坊に宿泊する場合には「第2駐車場」を利用可能になります。
また、宿坊に泊れば、日の出とともに本堂で始まる「お朝事」(あさじ)に参加することもできます。

善光寺の交通アクセス

長野・善光寺への交通アクセスや行き方ですが、電車の場合には、JR長野駅の西側「長野駅善光寺口バスロータリー」の1番乗り場にて「善光寺方面」行の路線バスに乗車し所要15分、善光寺大門バス停にて下車し、徒歩5分ほどになります。
バスの本数は多いので便利です。
長野電鉄・長野線の善光寺下駅から歩くと15分ほどの距離です。

クルマの場合には、善光寺の北側を中心に有料駐車場が点在しています。
ただし、御開帳の時期は、駐車場も大混雑しますので、公共交通機関の利用がお勧めです。


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善光寺の公式駐車場はとしては、善光寺第1駐車場(境内北西、24時間)、善光寺第3駐車場(境内北東、24時間)が一番近いと存じます。
善光寺第4駐車場(境内の西側)は、バイクとバス優先となりますが、空きがあれば乗用車も可能です。
大きな善光寺第2駐車場(境内西)は、宿坊関係専用で、宿坊利用者のみ駐車可能となっています。
その他、コインパーキングが点在していますが、土日祝の場合には、駐車場も満車になるなど、混雑しますので、善光寺の北側にまわったほうが無難です。
当方のオリジナル地図では、善光寺の公式有料駐車場の入口をピンポイントで印していますので、ご参照賜りますと幸いです。

混雑していなければ、善光寺の見学所要時間は、お戒壇巡りを含めると40分~60分といったところです。
長野に宿泊するなら、長野電鉄で湯田中温泉まで移動するのも良いですよ。

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髙田

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コメント

    • ほんとかよしみつさん
    • 2020年 10月 09日

    本田善光(ほんだ-よしみつ)という名前、どうかんがえても、6,7世紀の人物の名前とはおもえない。
    本当の名前がわからなくなって、兵安時代以降の人が寺名からつけたようなきがするのだが?

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